ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第3回・大江健三郎「後退青年研究所」その②

2014-10-13 | 戦後短篇小説再発見
 前回の「その①」にいただいたTOYさんからのコメントへのご返事にも記したのだが、この記事を書くために「死者の奢り」やら「芽むしり仔撃ち」といった大江さんの初期作品を読み返してたら、自分でも猛然と小説が書きたくなって、しかも書いてるうちに大江健三郎と自分との才能の差があらためてひしひし胸に迫ってきて、その圧迫感たるや、まるで羽生善治と平手で指してるような感じで、まるっきり手も足も出やしねえ。それですっかり気分が落ち込んで、自分自身が後退中年となって更新が途絶したのだが、せっかくコメントを頂戴したことでもあるし、いい加減に立ち直って続きを書こうじゃないか。

 ナショナリズムは悪しき「物語」であり、これに身を委ねることはとても危険だ、という趣旨のことをこのあいだからブログに書いているわけだが、その伝でいけば「戦後民主主義」もまたひとつの物語にすぎない。こうやってすべてを相対化するのは世に倦む日日に言わせれば「脱構築」ってことになっちまうのだろうが(そしてこの用語の使い方は完全に誤っているのだが)、どちらも所詮は物語とはいえ、「戦後民主主義」という物語は「ナショナリズム」という物語よりもはるかに風通しよく外部に向かって開かれていて、人間としての豊かさを導くものだと思うからこそワタシはこうして擁護しておるわけである。けっしてただの相対化には留まらない。

 「戦後民主主義」という評価軸でいえば、戦後日本文学における大江健三郎のポジションは、戦後日本マンガにおける手塚治虫に近い。しかしこういう譬えを出しても、いまの十代から二十代あたりにはどこまで通じるものか。心許なく思いながらもさらに譬えを続けるならば、「芽むしり仔撃ち」はおおむね「鉄腕アトム」に相当するだろう。戦後民主主義の理念を内包した「個」が、《体制》の側から受けるさまざまな苦難を描いた点で両者は似ている。その「世界観」や「人間像」は基本フォーマットとして次の世代の表現者たちに受け継がれ、いわば文化的DNAとして今日にまで繋がっているはずだ。そこは三島由紀夫でも安部公房でもだめで、だから大江のノーベル賞はじつに大きな出来事だったのである。

 だけどあんまり戦後民主主義戦後民主主義つってると、なんか石坂洋次郎みたいな爽やかに開放された若い男女の交流小説を思い浮かべてしまう。そう考えると村上春樹も石坂洋次郎のポストモダン風リメイク版みたいに思えてきちゃって笑ってしまうが、あまり脱線してるといつまで経っても進まないので本筋に戻ると、大江作品ってのは前回の「その①」でも書いたとおりおそろしく屈折・内向していて、いうまでもなく石坂洋次郎的な明朗快活とはほど遠い。初期の代表作「死者の奢り」や「他人の足」などに通低する主題はずばり「閉塞感」である。それはサルトルから直輸入されたものだが大江青年の才能によって見事に肉体化され、当時の日本の意識的な青年たちの生理と心情とを鮮やかに捉えたのだった。

 この閉塞感は形を変えて今の日本をも覆っていると思う。前回ぼくが「初期の大江作品は、かつてのぼくよりもむしろ今を生きる若者にとってこそ、よりいっそう痛切なものに感じられるはずだ。」と述べたのはそのことである。「後退青年研究所」もまた屈託を抱えた青年たちを描いているが、当時の政治状況をダイレクトに扱っている分だけ写実小説に近く、普遍性は薄いといえるかもしれない。しかし小説としてはけっこう面白いのである。

 「アメリカ東部の大学で極めて高度な教育を受けた新進気鋭の社会心理学者」たるゴルソン氏が、「大学(あきらかに東大だ)のそばの不動産会社のビルの三階」に構えた事務所(研究所)で、「学生運動を離れた旧活動家の学生」たちから話を聞く。これが「後退青年研究所」である(むろん正式名称ではない)。そこには日本人の「背が高すぎる痩せっぽち」の、つねに憂鬱な顔つきをした「通訳兼タイピスト」の「女子学生」がいる。その妙な研究所でバイトすることになった「二十歳にやっと達したばかり」の「ぼく」の回想の体裁を借りてこの短編は綴られる。大江作品の一人称は「僕」という表記が多いがなぜかこの短編では「ぼく」だ。

 時期は「朝鮮戦争の動乱のあとの一時期」となっている。1954(昭和29)年から55年あたりか。作品の発表が1960年で、このとき大江は25歳だから実年齢とも符合している。ぼくがこの短編で興味ぶかいと思ったのは、「ぼく」がこの若き社会心理学者ゴルソンにわりあい好感を持っているところだ。

 アメリカという存在は戦後ニッポンにとって最大の問題であったし、いまも最大の問題であり続けているわけで、とうぜん戦後文学はさまざまなかたちでアメリカ人と日本人との関係性を扱ってきたのだが、ぼくの見るかぎり大江作品において日常的な風景のなかで一人のアメリカ人と「ぼく」との交流が描かれたのはこの短編が嚆矢なのである。あのショッキングな「飼育」の「黒人兵」には名前がなかった。「人間の羊」や「不意の啞」に出てくる「外国兵」たちにも名前はなく、そこに繰り広げられるのは暴力に満ちた強烈で濃密な非日常的ドラマだった。「戦いの今日」にはアシュレイという固有名を備えたアメリカ兵が出てくるが、彼は朝鮮戦争の兵役忌避者で、やはり日常空間の住人とはいえない。

 「後退青年研究所」は、それらの諸作に比べればずっと日常空間に近づいており、ドラマ性が希薄になって、そのぶんだけゴルソンに注がれる「ぼく」の視線が濃やかになっている。そのことが小説としての膨らみを増しているのだ。「ぼく」がゴルソンに好感を持つのは、「日本にきている米人インテリには、奇妙に戦闘的で傍若無人な連中と、うってかわって温厚篤実な連中とがいるようだが、ぼくらがミスター・ゴルソンとよんでいたシカゴ生まれの社会心理学者は、その温厚篤実ながわの代表というべき人物であった」からだ。しかしただそれだけでもなさそうである。

 その③につづく。