とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

吹屋ふるさと村探訪

2012-09-11 22:16:40 | 写真日記

古い町並みが大好きです。

古い街並みが残っている所にはどこでも出かけたくなります。

9月9日自分の誕生日にどこか行ってみたくなって、前から気になっていたベンガラの町に出かけることにしました。

べんがらの町は岡山県高梁市にあります。

山陽道から中国自動車道に乗り換えて新見インターで降りて国道180号線新見市街正田より県道成羽線に入り、

高梁市成羽町坂本より、道路案内版に沿って吹屋ふるさと村をめざします。

途中だんだん山に登っていくのでこれでいいの?と不安になりながら向かって行きました。

標高550mの山嶺に江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山町に加え、

江戸後期からベンガラという特産品の生産がかさなり、

幕末から明治にかけて「ベンガラの町」として全国に知られました。

町並みの旧街道沿いに、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦、妻入りの切妻型、

平入り型式等が印象的な風情たたずむ商家・町屋が立ち並んでいます。

駐車場を降りて歩いていると、町は突然登場してくるのでびっくりです。

 

町にはボンネットバスが走っています。

高梁市が広島の福山自動車時計博物館より、トヨタ+呉羽の昭和42年式DB100を譲り受けたそうです。

そのバスも突然現れてきました。

 

 

標高550mの山嶺に、塗込造りベンガラ格子の堂々たる町家が建ち並んでいるのは、

江戸時代から明治にかけて中国筋第一の鉱山町に加えて

江戸時代末期からベンガラという特産品の生産が重なり、

当時の鉱業地として大いに繁昌した面影です。

幕末から明治にかけて吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていました。

しかも吹屋街道を拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、蒔炭、雑穀を集散する問屋も多く、

備中北部から荷駄の行列が吹屋に続き旅籠や飲食店の建ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁昌を保っていたそうです。

 

 

またこの町には吹屋小学校があります。

つい先頃まで現役の小学校として使われていたそうです。

1900年(明治33年)~1909年(明治42年)に建設されたものです。

日本最古級の木造校舎で岡山県の重要文化財(建築物)になっています。

古い建物も好きですが、古い校舎はもっと大好物です。

 

  

町を散策していると、片っ端から撮影したくなります。

 

吹屋には笹畝坑道跡があります。

吹屋銅山は807年に発見されたと伝えられ、尼子、毛利の奪い合いから江戸時代の天領時代を経て三菱金属の持ち物になるまでの歴史があります。

実際に坑道の中に入ることができます。今は記念館として保存してあります。

ただし、中は天井が低いので、ヘルメット着用が義務づけられています。

 

 

 

吹屋には広兼邸と呼ばれるお城のような豪邸があります。

庄屋の家で、銅山とベンガラの原料で巨大な富を築き、規模、構造ともに一大城郭を思わせるような佇まいを見せています。

石垣は1810年の建築だそうです。

映画「八つ墓村」のロケ地として使われたことで全国に知れ渡っている屋敷です。

 

 

続いて備中松山城をめざしましたが、バスの終点から城まで20分かかることと、帰りのバスが間に合わないと言われ諦めました。

高梁の町並みを少しばかり散策しました。

 

  

この高梁教会は1889年(明治22年)に建設されたもので岡山県最古の教会の建物だそうです。

備中高梁は「男はつらいよ」のロケ地となった所でもあり、

教会の近くには、寅さんが代わりに法事を務めたハンコ屋があります。

 

 

 

 

 

 

コメント
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