季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

捨て猫記 4

2008年12月29日 | 
思い出すのもいまいましくていやなのだが。

子供がまだ小学生低学年のころだ。こんにゃく2号がようやく貰われてしばらくたったころ。

家内と子供が雑木林に散歩しに行ったと思ったら、段ボール箱を抱えて帰ってきた。中には4匹の子猫がうごめいている。

体中の力が抜けてしまった。今回はミケが一緒にいたわけではない。聞くと、道路の真ん中に、道路といってもほとんど車の通らない雑木林沿いの道路だが段ボールが落ちていた。それを隙間から覗いた子供が「おっ、なにか動いているぞ」と言って開いたら猫がいたという寸法なのだった。たまとミケから、捨てられた猫は拾うべしと教わったのだな、喜色満面で4匹も連れ帰ってきた。

昔話ではこういった場合はいつも、開いてみたら小判ではないか。約束が違う。僕は以来昔話を信じなくなった。

さあ、もうてんやわんやの生活である。大喜びなのは子供とミケだけだ。ミケときた日には、4匹相手にかいがいしく面倒を見るのがじつに嬉しそうなのである。子猫たちもミケの鼻によじ登ったりして、なつくというより、これが当たり前といった態度なのだ。

まあ、つくづく愚かなのは人間であると考えさせられたね。それを痛感させられた、と一応言って納得させずにはやりきれない日々がまたしても続いた。

因みに、名前はもうやけくそ、こんにゃく3号から6号だ。今となってはどれが3号でどれが6号だったかもう分からない。

里親探しは困難をきわめた。知り合いの猫好きに当たってみても、猫好きはすでに飼っていることが多い。今いる子との相性を心配したりして、関心は持ってくれても貰ってはくれない。当然といえば当然だ。

まあ、生活なんていったんある状態が出来上がったら出来上がったで、それなりに楽しいこともある。猫を4匹もいっぺんに飼うなんて思いもよらなかったが、にゃあにゃあ檻の中を動き回るのを眺め、食事のときの振る舞いは、もう子猫のときからはっきりした差異が現れる様子を笑ったり、ミケが可愛がるのを微笑ましく見たり、そんな時にはそれなりに楽しかった。

でも、月に一度の市主催の里親探しの会だけでおいそれと貰い手が見つかるはずもなく、隣の市や、愛護団体に登録してそこの主催する里親探しの会に足を伸ばしたり、ずいぶん苦労した。

一番小さいのがとても可愛い性質で、食事時にも遠慮がちに遠くのほうにいた。一番大きいのがこれが食い意地が張っていて、餌の皿を置くとひとりでまん前に踏ん張って他の子が寄ってくるとギャアギャア騒ぐ。チビは(ほんとうはこんにゃくと呼ぶべきだが、どれが何号だかまるで分かっていないのである。最初からチビとでも付けておくべきだった。名前は大切である。少なくとも他と識別する機能がある。小林秀雄さんの随筆に「同姓同名」というのがあって、出版社から同じ名前の学者と混同された話が書かれている。猫たちは同名ではないのだが、3号、4号では同姓同名以下だな、まるで役に立たなかった)その騒ぎの中で弾き飛ばされてきたフードだけをポリポリかじって、ひとり平安を満喫している。

この子が最初に貰われた。欲のない子が一番幸せになる。ここでは昔話の通りではないか。なぜだ?

さんざん苦労して最後まで残ったのが大きくていやしい奴だった。雄の三毛である。なんでも、雄の三毛猫は珍しいらしい。それでも(顔は可愛いのだが)最後まで残ったところを見ると、マイナスのオーラが出ていたのかもしれない。

この三毛(ミケではないよ)がようやく貰われてしばらく経ったころ、我が家が平静を取り戻したころ、貰ってくれた家族から手紙が届いた。

三毛猫は幸運を運んでくるというのは本当でした。来た次の日にさっそくパチンコで大当たりが出ました、猫はシゲマツと命名しました。だとさ。



コメント
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