漢字伝来
2009年02月24日 | 本
大島正二さんという人の「漢字伝来」という本は面白かった。僕たちは生まれてこの方ずっと漢字と付き合っているにもかかわらず、それについて知らないものだなあ、というのが真っ先にきた感想だ。
今、僕たちはと書いたでしょう、これは本当は間違いだ。僕という漢字のことではないよ、言っておくが。パソコンの変換キイのおかげで書き間違いはなくなったよ。とんでもない見落としはあるけれど。
こういう場合「僕たち」と全員がそうであるかの言葉を使うのはマスコミやキャスターの常套句である。「私たちはこんな贅沢をしていてよいのでしょうか」などと使用する。
贅沢していると感じているのはあんただろう、自分まで一緒にしないでもらいたい、と思ったことならば大抵の人があるだろう。マスコミから広がった(多分ね)この手の責任を共有して気が楽になりたい人の言い草を僕は好きになれない。
だから本当はこう書かねばならない。僕は生まれてこの方ずっと漢字に付き合っているにもかかわらず、それについて知らない、と。
ただ、この場合はそこまで厳密に言う必要はないだろう。偶然そう書いたからその機会を利用してマスコミ用語に苦言を呈しておきたかった。
万葉仮名なんて漠然とは知っていても、いつこういった使用方法から漢字と仮名の混交文になったか、それはまあ分かってもどんな理由でそうした知恵に結びついたか、僕たちに、じゃなかった、僕に分かるはずもない。
慕久似輪巣辺手無津蚊詩意。度鵜陀身名査磨予目瑠課音。万葉仮名で用いられている文字は、各人が好みに従って使用したそうだ。今の絵文字を使うような感覚なのかなあ。私はこの字が素敵だと思うなってね。どうも基本的にはそんな風なのだ。
絵文字を僕は使わないし、白眼視している人たちがいるのも承知しているが、なに、こういったものだって日本の文化的な背景が垣間見られると思うとおもしろいではないか。
仲間内で絵文字を多用する若い子たちも、僕に送るメールはじつに丁寧できちんとしている。僕は世間で言われているほど若い世代のマナーが悪いなんて、これっぽっちも感じないね。
と脱線したところで。
漢字は日本にだけではなくベトナム、朝鮮でも使われたことは知っていたけれど、ベトナムでは漢字仮名混交文のような試みがなされて、結局破棄されたことはまったくの初耳であった。
ハングルも、戦後の発明のように思っていたが、というより何も思っていなかったが、何世紀も前に考案されて、そのまま半ば忘れられていたのを再び使い出したのだとはじめて知った。音楽の、それも演奏なんて日常の時間ばかりとられることに携わっていると、視野も狭くなるなあ、と改めて反省した。
それにしても万葉仮名の時代から漢字仮名混交文への変遷がかなり速やかに行われたのは驚嘆に値する。
その経緯について詳しく書かれた本も当然あるのだが、細かすぎて精読する根気がない。本屋でまず立ち読みするが(僕がプロのタチヨミストであることはすでに書いたことがある)買う気すら起きない。当然読む根気もないだろうと察している。
それでも言葉の成り立ち、字の成り立ちに関心があるのでこうして読みかじっては空想にふける。
漢字仮名混交文への移行期においてはいろんな議論や模索が盛んだったのだろう。居合わせていたらさぞ楽しかっただろう。
今、僕たちはと書いたでしょう、これは本当は間違いだ。僕という漢字のことではないよ、言っておくが。パソコンの変換キイのおかげで書き間違いはなくなったよ。とんでもない見落としはあるけれど。
こういう場合「僕たち」と全員がそうであるかの言葉を使うのはマスコミやキャスターの常套句である。「私たちはこんな贅沢をしていてよいのでしょうか」などと使用する。
贅沢していると感じているのはあんただろう、自分まで一緒にしないでもらいたい、と思ったことならば大抵の人があるだろう。マスコミから広がった(多分ね)この手の責任を共有して気が楽になりたい人の言い草を僕は好きになれない。
だから本当はこう書かねばならない。僕は生まれてこの方ずっと漢字に付き合っているにもかかわらず、それについて知らない、と。
ただ、この場合はそこまで厳密に言う必要はないだろう。偶然そう書いたからその機会を利用してマスコミ用語に苦言を呈しておきたかった。
万葉仮名なんて漠然とは知っていても、いつこういった使用方法から漢字と仮名の混交文になったか、それはまあ分かってもどんな理由でそうした知恵に結びついたか、僕たちに、じゃなかった、僕に分かるはずもない。
慕久似輪巣辺手無津蚊詩意。度鵜陀身名査磨予目瑠課音。万葉仮名で用いられている文字は、各人が好みに従って使用したそうだ。今の絵文字を使うような感覚なのかなあ。私はこの字が素敵だと思うなってね。どうも基本的にはそんな風なのだ。
絵文字を僕は使わないし、白眼視している人たちがいるのも承知しているが、なに、こういったものだって日本の文化的な背景が垣間見られると思うとおもしろいではないか。
仲間内で絵文字を多用する若い子たちも、僕に送るメールはじつに丁寧できちんとしている。僕は世間で言われているほど若い世代のマナーが悪いなんて、これっぽっちも感じないね。
と脱線したところで。
漢字は日本にだけではなくベトナム、朝鮮でも使われたことは知っていたけれど、ベトナムでは漢字仮名混交文のような試みがなされて、結局破棄されたことはまったくの初耳であった。
ハングルも、戦後の発明のように思っていたが、というより何も思っていなかったが、何世紀も前に考案されて、そのまま半ば忘れられていたのを再び使い出したのだとはじめて知った。音楽の、それも演奏なんて日常の時間ばかりとられることに携わっていると、視野も狭くなるなあ、と改めて反省した。
それにしても万葉仮名の時代から漢字仮名混交文への変遷がかなり速やかに行われたのは驚嘆に値する。
その経緯について詳しく書かれた本も当然あるのだが、細かすぎて精読する根気がない。本屋でまず立ち読みするが(僕がプロのタチヨミストであることはすでに書いたことがある)買う気すら起きない。当然読む根気もないだろうと察している。
それでも言葉の成り立ち、字の成り立ちに関心があるのでこうして読みかじっては空想にふける。
漢字仮名混交文への移行期においてはいろんな議論や模索が盛んだったのだろう。居合わせていたらさぞ楽しかっただろう。