ルイガノ旅日記

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小倉街歩き

2022年03月13日 | 北九州
久しぶりに電車で小倉へ。駅を出ると、ちょうどモノレールが小倉駅に滑り込んでいきました。
小倉北区と南区をつなぐ北九州モノレールは1985年(昭和60年)に開通しましたが、当初は南側商店街の反対のため小倉駅に乗り入れられず、現在の「平和通駅」が「小倉駅」とされていました。ようやくJR小倉駅までの延伸が実現したのは1998年(平成10年)。それまでは、モノレールとJRの乗継は徒歩で10分近くかかっていたのですから、いま思えば信じられない話です。


紫川に架かる木製の常盤橋。この橋は江戸時代初期、古くからの城下町である西側(西曲輪:写真奥)と町人の街として開発した東側(東曲輪:写真手前)をと結ぶ重要な橋だったそうです。


「小倉の五街道」と呼ばれた長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還のすべてがこの常盤橋に繋がっており、ここが小倉から九州各地にのびる諸街道の起点であり終点でもありました。


その時代、常盤橋のすぐ北側には港があって、参勤交代の諸大名、 長崎奉行、 オランダ商館の行列などは、そこから船で本州・下関に渡り、また戻ってきていました。まさに、九州の玄関口だったんですね。


関が原の戦いの功によって初代小倉藩主となった細川忠興公が築いた小倉城。細川家が熊本に移封された後は、小笠原家が小倉城主の座を受け継ぎました。
この天守閣は「唐造り」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根のひさしがなく、5階の方が4階よりも大きくなっているのが特徴です。江戸末期、天守閣は火事により消失しましたが、1959年(昭和34年)に再建されて現在に至っています。


小倉城の石垣は、切り石を使わず自然の石をそのまま組んだ「野面積み」。勇壮で野趣あふれる力強さが感じられますね。
今は枝しか見えない城壁の桜ですが、来月下旬にもなれば淡いピンク色に染まります。


理由は定かではありませんが、石垣の四隅には白い花崗岩が積み上げられました。その結果、偶然にもこんな姿ができ上がり、「小倉城を走る白い忍者」とも呼ばれています(笑)


隣接する北九州市役所の16階、屋上展望室から見下ろす小倉城。


その北側にはリバーウォーク北九州。このリバーウォークは、先日『キャッツ』を観た博多のキャナルシティと共通点があります。建物のデザインを担当したのは、どちらもアメリカ人建築家ジョン・ジャーディだったんです。ジャーディはこの他にも、六本木ヒルズや大阪のなんばパークスなどをデザインしたことでも知られています。


北九州を南北に流れる紫川には、ユニークな形の橋が多く架けられています。「太陽の橋」北側の歩道に描かれたひまわり(北九州市の花)は、橋の袂から見る丸く見えるようにデザインされています。橋のむこうの建物は、妻の小説『キリコはお金持ちになりたいの』(幻冬舎文庫)のヒントになったタワーマンションです。


真ん中が膨らんだ手前の橋は「鴎外橋」。森鴎外は37歳の時、旧陸軍第12師団の軍医部長として赴任し、3年間を小倉で過ごした関係から、いくつかの足跡が残されています。


鴎外橋の中央には彫刻家 淀井敏夫の『鷗』。淀井敏夫の作品を見たのは、関門海峡を挟んでお隣り、下関市立美術館の『夏の海』が初めてでした。


これが、下関市立美術館にある『夏の海』。心棒に石膏を直付けする独特の技法が用いられており、ごつごつした岩のような質感が共通しています。どちらの作品も、空を舞うカモメがモチーフになっていますね。


この日は3~4時間、小倉市街をぶらぶら散策。その後、妻と合流して駅から三十歩横丁で遅めのランチにしました。


肉バルGOTCHA(ガッチャ)。ここにはコロナ禍の前、友人と何度か足を運んだことがあります。


私は、ボリューム満点の牛ハラミ丼を頼みました。


こちらは、牛すじ煮込みオムライスプレート。


この日は電車だったのでお酒もOK! たまにはいいですよね~ヽ(^o^)丿


雑穀焼酎「Ton den naka 倍」はロックで。雑穀焼酎は初体験でしたが、甘みが強くて美味しかったです。


家の近くの大学で、早咲きの河津桜が咲き始めました。






つぼみがたくさん残っていたので、しばらくは楽しませてくれそうです。


🍀

北九州市では今月4日の市議会本会議で、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を非難する決議案が全会一致で可決されました。
これを受けて市は、小倉駅構内にある大型ビジョンと5つの電子看板にウクライナの国旗を映し出す取り組みを行っています(3月11日で終了しました)。


市議会との連名で、「ウクライナに一日も早く平和が訪れることを心から願う」というメッセージが添えていました。この理不尽な侵略戦争に終止符を打ち、一刻も早くウクライナに平和が戻ってほしいと思います。


コメント (10)
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