パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

貧乏なので金持ちになたい貧乏な精神

2010-04-10 11:11:14 | Weblog
 前回のガードマンを辞めた件についての記事は削除しました。

 関係者が見ている可能性があるので、正直言って、事実報告だけでよかったかなと。

 ただ、「あなたに本当に非がないと言えるのか」という反応がありましたが、これは、私が書いたことが事実その通りであるとしたら、「私に非はない」…というか、あまりにもバランスを欠いた不当な扱いを受けたということはわかるはずです。

 というわけで、また文句なのだが、gooのウェブメールの画面がリニューアルされたのだが、それで不具合が生じて、もうgooのスタッフはてんやわんやのようだ。

 いや、「てんやわんや」してくれないと困る。

 というくらい、ひどい状況。

 なにしろ、トップページにアクセスしても、インジケーターがぐるぐる回るばかりで、開ききらないのだから。

 話が変わるが、一週間ほど前、原口総務大臣が、「日本株式会社の再生のためにがんばります」と握りこぶしで話していた。

 おいおい。

 「日本株式会社」というコンセプトは破綻した、もう機能しないということではないのか?

 「日本株式会社」という思考モデルはもうやめようということではなかったのか?

 私は愛国心はもっているつもりだが、「日本株式会社」の一員であるつもりは毛頭ないぞ。

 そもそも、「日本株式会社」という言葉は、これではいずれ限界が来るぞ、別の新たなモデルが必要だと、そういう意味で話されていたと思うのだが…そうじゃなかったか? マスコミさん。

 本当に、「言葉」は、正確に使わねばならない。

 というわけで、まず第一に、「日本の借金」という言い方。

 これはまさに、日本株式会社=日本政府の借金で、日本国民の借金ではない。日本国民は日本株式会社=日本政府に1000兆円を貸しているので、日本国民が被害を被るとしたら、1000兆円を踏み倒される危険性だ。

 第二に、話題が飛ぶが、「大家族」という言い方。

 「大家族」というのは、これまでも繰り返し言っているが、親戚一同が集まって生活をすることで、家族の人数が多いことではない。

 少し前、イエーメンの家族を取材した番組があったが、そこでは従兄弟同士が一つのテーブルで食事をしていた。

 取材班が、感想を聞くと、「最高だね」という答えが返ってきたが、一つ屋根の下で親戚一同が暮らすというのは、財力、それとトップに立つ年長者の指導力などが必要で、必ずしも、大家族制の社会ではみんなこうしているわけではない。

 つまり、大家族制の社会とは大家族を理想とする社会で、大半の家族は、両親、子供数人と、小家族制度の社会をあんまり変わらないが、でも、目指す理想が異なるという意味で、小家族制度の社会とは全く異なる。

 で、日本は典型的な小家族制度の国柄で、だから、テレビなどで紹介される「大家族」も、人数が多いだけだ。

 …と、中根千恵の本で知って、「目からウロコ」が落ちる経験をしたのだが、中根千恵本人は「私は学者であって、それを超えた社会的発言はしない」と著書の中で明言する始末。

 社会的発言を封印した社会学者なんて、意味があるのか?

 それから、「ハングリー精神」。

 これもしょっちゅう言っているが、「飢えたライオンの精神」の意味で、「貧乏なので金持ちになりたい精神」のことではない。

 「ハングリー」って、「飢え」の意味だろ。

 「貧乏」の意味はまったくない。

 この言葉の使い方の間違いが是正されない限り、日本の社会はこれからもずっと「貧乏なので金持ちになりたい貧乏な精神」で侵され続けるような気がする。

 ほかにもたくさんあるのだけれど、とりあえず今回はこれで。