パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

中川大臣がうらやましい

2009-02-25 18:16:35 | Weblog
 「取ったら嫌だなー」と思っていたアカデミー外国映画賞を『送り人』が取ってしまった。

 別にモッ君が嫌いだというわけではない。TVをはじめとするマスコミがバカみたいに騒ぐのを見させられるのが嫌なのだ。

 特に嫌いなのが、福沢朗司会のワイドショーで、「こだわり2畳新聞」とか言うのを仕切っている緑色の背広を着たやつだ。

 1週間くらい前、こいつがたまたま真っ黒のサングラスをかけた。

 そうしたら、意外に似合う。

 こういう場合、普通だったら、その人のパーソナリティを見直すことになるのだが、こいつの場合はちがう。

 なんだか、サングラスというお洒落アイテムが侮辱された感じがした。

 スタジオの連中も同じだったのだろう。意外に似合うので、ちょっとどよめいたが、あっという間にその「どよめき」は消えてしまった。

 「消えた」というより、「消した」という感じだった。

 ちょっと深読みすぎるかな。

 中川前財務大臣がバチカン美術館でラオコーン像の台座に触ったとかで大非難だが、なんのこっちゃである。

 「大臣がこんなことをするなんて、日本人の人格が破壊されていることを世界に宣伝しているようなものだ、恥ずかしい」とか言い出す弁護士出演者なんかもいた。

 彫刻とか絵画などの「視覚芸術」は、見る人間と対象との間に距離があるので、どうしてもそれを埋めたくて、触ろうとするものなんだ。

 そしてそれは正当な欲望なんだ。

 「視覚芸術」は、離れて見ることができるから離れて見ればいい、否、見るべしと思うのは素人。

 触ってみて、はじめて「あ、これは……」とわかる。

 画面に触るのがダメなら、額縁の端でもちょっと触るだけでもいい。彫刻だったら、台座にちょっと触れば、なにかがビビビビ……と伝わってくるはずだ。(鼠男か)

 ラオコーンを見て、「触りたい」と思った中川前大臣は、ちょっと芸術家肌のところがあるのかもしれない。

 ラオコーンの大きさはどれくらいなのか、調べてみた(わからなかった)ついでに、この問題に触れた美術ファンのブログを覗いたら、中川大臣の愚行で、日本には美術品の貸し出しは行わないなんてことにならないか心配だ、と書かれていた。

 昔、室生寺かどこかの仏像に抱きついて、腕を折ってしまったやつがいたが、その後、この仏像の人気はますます高まった。だから、腕の一本や二本折ったっていいというわけじゃないが、それにしてもなんとまあみみっちいことよ。

 「あのラオコーンに触ったんですって(でも台座)! なんとまあうらやましい!(台座でもいい)」くらい思えよ、美術ファンなら。