パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

適量って、どれくらい? 適量です

2009-02-08 21:23:28 | Weblog
 サブウェイで遅い昼食をとっていたら、聞くともなしに聞いていた隣の席の男二人の会話が、ちょっと面白いことになってきた。日本のパスポートは世界一使い手があるから、取ろうと思っているとかなんとか話し出したのだ。

 ん? パスポートを取るなら勝手に取ればいいじゃん、と思っていたら、続いて、「でもさ、オレのおじいちゃんがまだ元気で、反対されているんだよ」という。

 そう、彼等二人は、所謂在日だったのだ。

 その後、二人は、「言いたくはないんだけどさー」と前置きしながら、「祖国」の悪口を言い出した。

 火病という、朝鮮人独特の精神疾患があるっていうことは本を読んだりして知っていたけど、本当にこの眼で目撃して、嫌になったとか、街が汚いしとか、「民度」の問題とかいろいろ愚痴っていたが、極め付けは、これ!

 「ウリナラマンセーって2Chで言われているけど、本当なんだよ」

 いや、私はそういうウリナラ至上主義の朝鮮人が嫌いじゃないけどね。

 朝鮮半島は本当に文化的に何もないところで、10分いたら耐え難いほど飽きてくる、という話を聞いたこともあるが、そういう「なーんにもない所」にいってみたい気がする。

 まあ、人それぞれなんだけれど、私は多分、飽きないと思う。

 しかし、くだんの在日君たちは、祖国の民度を嘆いていたが、日本もあんまり誉められたものではない。

 多分、「勘」はいい。でも、その「勘」ですべてを済ましてしまう。

 日本の料理番組なんかだと、「塩を適量入れてください」とか当たり前に言うけれど、アメリカでは「適量」なんて表現は絶対に絶対にあり得ないんだそうだ。ちゃんと、グラム数を明記しないと、視聴者から文句が来るそうだ。

 まあ、たしかに「適量」で通用してしまうほうが、奇跡的なことかもしれない。

 「料理人味平」に、「醤油」という万能調味料があるのが日本料理の発展を阻害しているという意味の事が書かれていて、私は最初、ちょっと疑問に思ったけれど、最近、牛次郎のこの言葉はなかなか鋭い、大事なことを衝いているように思うようになった。

 「週刊新潮」と「朝日新聞」の論調が似てきたことを、「週刊文春」が誉めたりすような異常な状態が続く今日この頃、「勘」ですませていると、最後、肝心なところで誤る可能性が大であることを、しつこく強調したいのである。