パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

どうなる、「量的緩和政策」

2006-03-08 22:29:22 | Weblog
 歯医者にまだ通っているが、今日、「歯茎からまだ少し血が出ている」と言われた。す、すいません、ここ三日、歯を磨いていませんでした。
 歯を磨いても磨かなくても虫歯とは関係ないとかいう話を聞いて、つい、さぼってしまったのだけれど、実際には、歯磨きの目的は、歯肉のマッサージなんですね。最初に、歯医者にそう言われて、マッサージ方法も教わったのだけれど、そのこと自体を忘れてしまった。

 明日、日銀による「量的緩和政策」の解除を発表かとの噂しきり。解除したらどうなるか、よくわからないが……ただ、その「解除の理由」が、ちょっとやばいのじゃないかと思う。なんか、経済学と全然関係ない話みたいなのだ。

 ここで、「量的緩和政策」って何かというと、金融政策の一種で、経済の活性化のために貨幣を大量に市場に投入する政策のこと。
 そもそも、これもはじまりはケインズで、ケインズは、主著の「一般理論」という本で、利子率を動かすことによる金融政策に疑問を表明した。利子が下がったからといって、投資が必ず増えるとは限らないからだ。また、利子政策は、一定水準以下には下がり得ないということもある。
 それで、ケインズやケインズの弟子たちは金融政策よりも、公共投資や福祉政策を中心とする「財政政策」を重視するようになった。
 しかし、「当局」にとってなし得る政策が、実は、もう一つある。それは、「貨幣を刷ること」なのだけれど、ケインズの信奉者は、どちらかというと社会民主主義的な考えの人が多く(有名どころではガルブレイスとか)、公共投資や福祉政策などの、いわゆる「財政政策」を重視し、その結果、意識的にか、無意識にか、「貨幣」の経済に対する影響を無視する傾向がある。
 そこで出てきたのが、ミルトン・フリードマンという、チビ・デブ.ハゲで、そのくせ、いい女が大好きという、ダニー・ディベートか、はたまた「紅の豚」かといった経済学者を筆頭とする「マネタリスト」と呼ばれる人々で、今問題になっている「量的緩和政策」とは、このマネタリストの政策そのものなのである。
 すなわち、曰く、「貨幣政策こそ、経済政策である」と。

 ここで少し話がさかのぼるが、小泉首相は、当初(というか、今でも、その旗はおろしていないが)「創造的破壊」による「構造改革」でデフレを克服するのだと言っていた。これは、オーストリアのシュンペーターという経済学者が主張した理論で、「デフレは企業を鍛える」、というのだ。
 シュンペーターは、ケインズなどとほぼ同年代の人だけれど、ヨーロッパでは経済学者としてはほとんど認められなかったが、日本では(それから、アメリカでも少し)人気があったので、すっかり親日家になり、しばしば日本にやってきて東大で教えたりした。もちろん、戦前の話。
 その生徒が、戦後復興期に経済官僚として大活躍したので、戦後、シュンペーターの株は、特に高級官僚の間でますます上がったけれど、その理論がうまくいったのは、「復興期」という特別な条件下だったからで、高度成長期を経て、やがて忘れられていったが、バブル後の不況が泥沼化し、何をしてもダメという状態――まさに、ケインズが「一般理論」で指摘した、いかなる金融政策も効をそうさない状態――で政権についた小泉が「構造改革」を言い出したことで息を吹き返した。竹中平蔵も、さすがに「シュンペーター派」というわけではないが(そんなことを言ったら、多分、とんでも学者扱いされる)、全然認めないわけではないみたいなことを書いていたが、ともかく、親分と口を揃えて「構造改革」を唱えても、さっぱり結果が出ない。
 そこで登場したのが亀井静香で、彼は、「公共投資」の大幅増加を主張した。つまり、ケインズ政策への里帰りだ。この亀井の主張と小泉のシュンペーター流「構造改革」では、亀井のほうがはるかに筋が通っているので、私はずっと亀井支持だったのだが、「郵政改革」問題で小泉に「あんたは、郵政改革反対を政争としてやっている」と、ズバリ指摘されて、「濡れ衣だ!」と、情けないことに、腰砕けになってしまった。(公共投資をいくらやっても、結果が出ないことは証明されている、と竹中はしきりに言っていたが、ここは、亀井の「ちびちびやるからだ、もっと思いきってやれば、必ず結果は出る」のほうが説得力があったと私は思う。たとえば、高速道路の無料化とか……)
 しかも、ここがちょっと不思議なのだけれど、亀井との争いを通じて、小泉は「経済」のなんたるかについて、ちょっとした悟りというか、一段上の知識を得たかのように見えた。具体的に言うと、不況対策として、日銀によるマネタリスト政策、つまり、量的緩和政策を積極的にすすめるようになった。私は、実のところ、亀井の原理ケインズ的政策がいいと考える一方、「量的緩和政策」については、正直いって全然わからなかったのだけれど、亀井の、外見と裏腹のあまりの政治音痴ぶりに、亀井支持をあきらめ、マネタリストに転じた(ように見えた)小泉支持に鞍替えしたわけである。

 では、今現在どうなっているかというと、福井総裁をはじめとして、日銀の役員のほとんどは、実はマネタリストではない。といって、明確な反マネタリストというわけでもないだろうが、ともかく、金融政策の基本は利子率の操作にあるという伝統的立場だ。ただ、公定歩合をゼロにしても全然効果がないという状態で、残された手段は、お札を大量に刷って(実際に印刷機を回して増刷するわけではなく、帳簿操作だけでやるらしいが、詳しいことは知らない)市場(銀行)に提供するしかない。それが「量的緩和政策」なのだけれど、やってみたら、どうにかこうにか効果があった。
 しかし、もともと信念があってやっているわけではないので、デフレを脱却したら、即、「用済み」にして、本業の「利子率操作」という銀行員としての仕事に戻りたいのが日銀の本音だ。もっとも、日銀の役員全員がそうではない。昨日だったかのサンケイ新聞に3人の日銀の役員がインタビューを受けていたが、「量的緩和の廃止は時期尚早」と言い切ったのもいるにはいたが、一人だけで、あと二人は、「日銀の本来の姿に戻すことができるなら、戻すべき」という意見だった。しかし、これはいったいなんだろう。ただ、「自分の本来の仕事をしたい」というだけで、「経済の論理」なんか、どこにもないではないか。
 嗚呼、職人国家ニッポン! 
 だから、「プロジェクトX」なんか、大嫌いだったのだ……。

常識が大事

2006-03-07 19:01:24 | Weblog
 久世さん関連のニュースが以外なくらい多い。といっても、ワイドショー中心だけれど。久世さんにはいつも月光送ってたし、久世さんからも、時々、著書を頂いた。でも、実を言うと、読んでないんだ。ちょっと美文すぎちゃって……とっつきが……すみませ~ん、供養の代わりに、読みます。最初に頂いたのは、「早く昔になればいい」という小説で、ちょっと知恵おくれで、淫蕩な美少女が出てくる小説だった。
 文章書きには、「本当は映画監督になりたかったんだ」なんてのが、山程いるが、その映画監督には、本当は文章書きになりたかったんだ、という人が案外多い。「マタンゴ」の佐藤肇さんなんかもそうだったが、久世さんも、はっきりそう言っていたように思う。だから、演出の仕事をやめて原稿書きが中心になってから、本当に嬉しかったみたいだ。
 久世さん曰く、おれの作る作品は、最初は、視聴率いいんだけど、最後までいかないんだ、ジュリーを使った「悪魔のようなあいつ」(だっけかな?)なんか、典型だったと話してくれたが、そういえば、ジュリーが御葬式に現れなかったみたいだ。なぜだ? 西条秀樹はいたけど……52歳って、字幕に出てたけど……そ、そんなわけは……篠ひろ子が58だぜ。(テレビの具合が悪いので、はっきりわからなかったが、きれいだった。)
 小林亜星は、その後大分落ち着いたらしく、告別式ではずいぶんマトモなことを言っていたが、73歳とはとても思えない。肥満体でも、もちろん稀だが、長寿の人がいるそうで、小林亜星なんかそうなるかもしれない。
 樹木きりんが、「どうだ、うまいこと死んだだろって、電話がかかってきそう」と話していたが、樹木きりんもなかなかうまいこと言うじゃないか。

 ワイドショーは、久世さんの御葬式の他、「騒音おばさん」を一斉に取り上げていた。改めてみて、ものすごいおばさんの感、強し。頭の回転も早いし、ラップの選曲もなかなか(笑)と、テリー伊藤がほめていたが、実際、ラップを聞いて、「いいじゃん」と思ったのは、今回がはじめてだ。
 しかし、こんなに酷くても、警察が手を出せなかったのは、「民事不介入」の原則があるからだと番組では説明していたが、要するに、「被害者」である向いの家の奥さんと喧嘩をしていたということをもって、「民事」にあたるということなのだろうか。
 確かに、ただ漠然と大音声を流しているのではなく、明らかに「敵意」をもって特定の人に向けて流しているとしたら、特定されている方は、いわゆる「邪視」(イーブル・アイだっけ)の対象になっているわけで神経がおかしくなって入院するのも当然かもしれないが、それはそれとして、だからこそ、二人の「喧嘩」とみなされ、警察は介入しないということなのか。
 しかし、「被害者」は、大音声を向けられている奥さんばかりじゃない。隣の家の人だってたまらない。だとしたら、「隣の家の人」にとって、この騒音おばさんの行為は純然たる「迷惑行為」となり、民事不介入の対象とはならなくなるのではないか。つまり、大音声を向けられている「被害者」が訴えても、両者の「喧嘩」とみなされ、「民事不介入」で警察が動かないとしたら、「被害者」の隣の人が、迷惑だ、眠れない等と訴えれば、この場合は喧嘩でもなんでもないのだから、警察にとっても「民事不介入」の対象には当たらず、取り締まることができるのじゃないか。
 なんて、考えたのだが、どうだろう。
 いずれにせよ、新しく条例を作って、夜、60デシベル以上の音を出したら、一応注意できることになったらしいが、罰則がないから、効果の程はわからないとか。あのおばさんのビデオを見たら、まず、効果はないだろう。
 しかし、「60デシベル」って、どこで測った「60デシベル」なのだろう。騒音おばさんの家のすぐ前で測って60デシベルなのか、それとも「被害者」の家で測って60デシベルなのか。騒音おばさんの家の前で60デシベル以上は不可というなら、結構効果はありそうだが、被害者の家で測って60デシベル以上は不可、だったら、今までとあんまり変わらないかも知れない。
 ともかく、「常識」で判断しなきゃどうしようもないだろう。そもそも、「判断」というのは、常識(コモンセンス)でおこなうものなんだから。

余丁町文学(?)散歩

2006-03-06 16:10:53 | Weblog
 住友不動産のビラ播きコースの一角、富久町と余丁町の境に小さな児童公園がある。回りは安アパート、安普請の一戸建てが囲んでいるが、何故か、みんなこの公園に背を向けていて、嫌な雰囲気だなあと、傍を通る度に思っていたのだが、先日、中に入ってみたら、隅っこに石碑が建っていて、「刑死者慰霊之塔」とかなんとか書いてある。添え書きを読むと、ここは元東京監獄(市ヶ谷刑務所)跡だそうだ。むむむ、さては三島由紀夫が12、3歳の時に書いて、両親を震え上がらせた小説、『すかんぽ』の舞台となった刑務所はここだったか! 確かに、三島の生家はここから程近い。
 ネットで調べたら、市ヶ谷刑務所は、幸徳秋水や難波大助といった「対逆事件」の犯人が絞首刑になったところだそうだ。その他にも、小泉八雲や永井荷風の旧宅があったりとか、なかなかなところみたいだ。もっとも、八雲や荷風の旧宅はいずれも女学校(成女学園)や高級マンションで、当時の雰囲気は跡形もない。
 逆に雰囲気を残しているのが、慰霊碑の立っている児童公園に隣接した一角だ。大体、百メートル四方くらいの土地に、ほぼ同じ大きさの小振りの平屋がびっしりと並んでいるのだが、きっと刑務所勤めの下級役人が住んでいたのだろうと思わせる雰囲気が残っている。もちろん、官舎そのものは建て替えられているので家の形は様々だが、その「土地」に染み付いたものが、各々に取りついている感じがするのだ。
 実は、ここが市ヶ谷刑務所跡と隣接しているということを知る前は、旧都営住宅か何かがあった場所で、当時の住人が、なんのかのと言い立てて、安い家賃のまま居座っているのだろうと思っていたのだが、知った後で、合点した。小学生の頃、警察の官舎が近所にあったのだが、それとそっくりなのだ、雰囲気が。もちろん、通常の《官舎》も多分、同じような雰囲気を発散しているのではないかと思うが、警察関係は、それが、より「濃い」ように思う。しかりしこうして、要するに、官僚が警察官のようにふるまうのが日本という社会のDNAなのかなと、飛躍した感想をもった。(「電気器具安全法」なんか、その典型だろう。)

 ようやく、「映画の研究」(ほぼ)脱稿! これから、レイアウト等、編集にかかります!

 では。

陰謀論の闇

2006-03-03 18:47:41 | Weblog
 民主党の議員は、全員揃って「大きな黒い闇」の幻影にとらわれていたらしい。ユダヤともフリーメーソンとも関係ないが、これも、いわゆる「陰謀論」の一種だ。特に、沖縄で自殺した元ライブドアーの野口某氏の死が不自然であったと週刊誌を中心にしきりに報道されたことが、「黒い闇」に、より一層、リアリティーを与えてしまったのだろう。「報道された」じゃない。「週刊ポスト」の今週号なんか、記事がもし本当だったら、絶対に自殺なんかじゃない。だとしたら、国会で、警察が「自殺だ」と断定したのはなぜだ? 陰謀だー!となる。
 ちなみに、ポストの記事は、沖縄の闇社会に通じているという、某氏の証言によるもので、「我々には、氏の証言が正しいという証拠は、当然ながら、ない。だからこそ、警察はちゃんと捜査し、真相を明らかにしなければならない」みたいな言葉で締めくくられていた。おいおい!(笑) これじゃあ、永田議員の事を「ポスト」は責められないぜ。それともなにかい、「うちの記事をまともに信じるからいけない」とでも書くかい?

 久世光彦氏、死去。糖尿病だったそうだ。そうだろうなー、顔に出ていたもの。しかし、その割に、えらくエネルギッシュに仕事をしているなという印象をずっともっていたから、「突然の死」とは思わなかったけれど、周囲の人にとってはそうではないのだろう。「危ない」と、実は思っていたとしても、今日明日死んじゃうとは思わないだろうから。
 小林亜星が相変わらず太っていて、ズバズバ喋っていたのが面白かった。

 住友不動産バイト。今日は余丁町で、258軒、8200歩。

バカすぎ2題

2006-03-01 12:17:09 | Weblog
 住友不動産チラシ、富久町に359枚配付。テクマル表示は14000歩弱。いずれも自己記録更新。
 しかし、このチラシ広告の成果の程はいかなるものか。住友の担当者の話によると、4000枚播いて、一件の問い合わせがあるかないかといった感じらしい。もちろん、問い合わせがあったからといって、契約が必ず成立するわけではない。10件の問い合わせて1件成立したら御の字、実際は、100件に1件……なんてことになったら、まさに天文学的確率の話になってしまう。
 そもそも、こんな宣伝方法をとっているのは、住友だけではないか。というのは、ポストにこの種の不動産チラシがすでに先客として入っていることがしょっちゅうあるが、それを見ると、いつも同じ「住友不動産」。ただ営業所が違う。つまり、営業所同士でお客をとりあっている。アホラシ。

 永田議員、どう考えても、バカすぎ。「メールそのものは偽でも、内容は本当かも知れない」って……だったら、黙って調べればいいだけだろう。慶應の志木校から東大へ入ったらしいが、たしかに「志木校」の顔ではある。