パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

常識が大事

2006-03-07 19:01:24 | Weblog
 久世さん関連のニュースが以外なくらい多い。といっても、ワイドショー中心だけれど。久世さんにはいつも月光送ってたし、久世さんからも、時々、著書を頂いた。でも、実を言うと、読んでないんだ。ちょっと美文すぎちゃって……とっつきが……すみませ~ん、供養の代わりに、読みます。最初に頂いたのは、「早く昔になればいい」という小説で、ちょっと知恵おくれで、淫蕩な美少女が出てくる小説だった。
 文章書きには、「本当は映画監督になりたかったんだ」なんてのが、山程いるが、その映画監督には、本当は文章書きになりたかったんだ、という人が案外多い。「マタンゴ」の佐藤肇さんなんかもそうだったが、久世さんも、はっきりそう言っていたように思う。だから、演出の仕事をやめて原稿書きが中心になってから、本当に嬉しかったみたいだ。
 久世さん曰く、おれの作る作品は、最初は、視聴率いいんだけど、最後までいかないんだ、ジュリーを使った「悪魔のようなあいつ」(だっけかな?)なんか、典型だったと話してくれたが、そういえば、ジュリーが御葬式に現れなかったみたいだ。なぜだ? 西条秀樹はいたけど……52歳って、字幕に出てたけど……そ、そんなわけは……篠ひろ子が58だぜ。(テレビの具合が悪いので、はっきりわからなかったが、きれいだった。)
 小林亜星は、その後大分落ち着いたらしく、告別式ではずいぶんマトモなことを言っていたが、73歳とはとても思えない。肥満体でも、もちろん稀だが、長寿の人がいるそうで、小林亜星なんかそうなるかもしれない。
 樹木きりんが、「どうだ、うまいこと死んだだろって、電話がかかってきそう」と話していたが、樹木きりんもなかなかうまいこと言うじゃないか。

 ワイドショーは、久世さんの御葬式の他、「騒音おばさん」を一斉に取り上げていた。改めてみて、ものすごいおばさんの感、強し。頭の回転も早いし、ラップの選曲もなかなか(笑)と、テリー伊藤がほめていたが、実際、ラップを聞いて、「いいじゃん」と思ったのは、今回がはじめてだ。
 しかし、こんなに酷くても、警察が手を出せなかったのは、「民事不介入」の原則があるからだと番組では説明していたが、要するに、「被害者」である向いの家の奥さんと喧嘩をしていたということをもって、「民事」にあたるということなのだろうか。
 確かに、ただ漠然と大音声を流しているのではなく、明らかに「敵意」をもって特定の人に向けて流しているとしたら、特定されている方は、いわゆる「邪視」(イーブル・アイだっけ)の対象になっているわけで神経がおかしくなって入院するのも当然かもしれないが、それはそれとして、だからこそ、二人の「喧嘩」とみなされ、警察は介入しないということなのか。
 しかし、「被害者」は、大音声を向けられている奥さんばかりじゃない。隣の家の人だってたまらない。だとしたら、「隣の家の人」にとって、この騒音おばさんの行為は純然たる「迷惑行為」となり、民事不介入の対象とはならなくなるのではないか。つまり、大音声を向けられている「被害者」が訴えても、両者の「喧嘩」とみなされ、「民事不介入」で警察が動かないとしたら、「被害者」の隣の人が、迷惑だ、眠れない等と訴えれば、この場合は喧嘩でもなんでもないのだから、警察にとっても「民事不介入」の対象には当たらず、取り締まることができるのじゃないか。
 なんて、考えたのだが、どうだろう。
 いずれにせよ、新しく条例を作って、夜、60デシベル以上の音を出したら、一応注意できることになったらしいが、罰則がないから、効果の程はわからないとか。あのおばさんのビデオを見たら、まず、効果はないだろう。
 しかし、「60デシベル」って、どこで測った「60デシベル」なのだろう。騒音おばさんの家のすぐ前で測って60デシベルなのか、それとも「被害者」の家で測って60デシベルなのか。騒音おばさんの家の前で60デシベル以上は不可というなら、結構効果はありそうだが、被害者の家で測って60デシベル以上は不可、だったら、今までとあんまり変わらないかも知れない。
 ともかく、「常識」で判断しなきゃどうしようもないだろう。そもそも、「判断」というのは、常識(コモンセンス)でおこなうものなんだから。