先般、写真集「風に吹かれて」を出版いたしましたが、今回、田端の画廊「OGU MAG]」の知遇を得、同画廊にて、写真展「風に吹かれて」を4月26日から5月8日まで開催することになりました。
同じタイトルとはいえ、「写真展では写真集とは違った世界を見せる」と大言壮語しております。
しかし、それを決めるのは「私」ではありません。(私は「私」に関わり過ぎています)
私以外の、誰かです。
つきましては、できるだけ多くの皆様のご来臨の栄を浴したく、ご来場を心よりお待ちしております。
追伸 4月20日発売の「アサヒカメラ」にインタビュー、「日本カメラ」に評論が載るので、本屋で立ち読みしてくだされば幸いです。また、同書は写真展会場でも販売いたします。
…と文章を少し変えました。
芸術家はいろいろ大変です。
ところで、前々回、内田樹先生のブログについて書いたところ、大変に深く、かつ共感できる書き込みがありましたが,それに引き続き「霊界を実感することでしか,救われることはないのではないか」という書き込みがありました。
この「霊界」がオカルト的な意味合いだとしたら、それはやっぱり違うだろう,いや,はっきり違うと言わねばならない。
たとえば、鈴木大拙の『日本的霊性』の「霊性」とは、要するに「精神」のことだと鈴木大拙は書いている。
ただ、「日本的精神」というと、おかしなことになるので、「霊性」という言葉を使うのだと。
この問題は,ポアンカレの『科学と仮説』なんかを読むと、はなはだ難しいが、面白い。
私が思うに、そもそも科学と宗教は人間の精神の営みから分離したもので、対立するものではない。
では、その「精神の営み」は何かと言うと、人間の生理的特徴に由来するもので、それは、視覚の絶対優位に起因する。
一言でいえば,「自然の模倣」、すなわち「芸樹的営み」から派生したのにちがいない…とベンヤミンは言っているのだけどね。
同じタイトルとはいえ、「写真展では写真集とは違った世界を見せる」と大言壮語しております。
しかし、それを決めるのは「私」ではありません。(私は「私」に関わり過ぎています)
私以外の、誰かです。
つきましては、できるだけ多くの皆様のご来臨の栄を浴したく、ご来場を心よりお待ちしております。
追伸 4月20日発売の「アサヒカメラ」にインタビュー、「日本カメラ」に評論が載るので、本屋で立ち読みしてくだされば幸いです。また、同書は写真展会場でも販売いたします。
…と文章を少し変えました。
芸術家はいろいろ大変です。
ところで、前々回、内田樹先生のブログについて書いたところ、大変に深く、かつ共感できる書き込みがありましたが,それに引き続き「霊界を実感することでしか,救われることはないのではないか」という書き込みがありました。
この「霊界」がオカルト的な意味合いだとしたら、それはやっぱり違うだろう,いや,はっきり違うと言わねばならない。
たとえば、鈴木大拙の『日本的霊性』の「霊性」とは、要するに「精神」のことだと鈴木大拙は書いている。
ただ、「日本的精神」というと、おかしなことになるので、「霊性」という言葉を使うのだと。
この問題は,ポアンカレの『科学と仮説』なんかを読むと、はなはだ難しいが、面白い。
私が思うに、そもそも科学と宗教は人間の精神の営みから分離したもので、対立するものではない。
では、その「精神の営み」は何かと言うと、人間の生理的特徴に由来するもので、それは、視覚の絶対優位に起因する。
一言でいえば,「自然の模倣」、すなわち「芸樹的営み」から派生したのにちがいない…とベンヤミンは言っているのだけどね。