パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

助かった人は、幸いである

2011-04-07 22:55:06 | Weblog
 世の中、「詩」に開眼したようで、AC広告機構が流している「バカと言えばバカと答える、こだまでしょうか、いいえ誰でも」が金子みすゞの詩だとは、私は全然知らず、いや、いい詩だなあと素直に思っているのだが、26で自殺した金子みすゞに対し、御年99歳の詩人某の「詩」は、こりゃなんじゃと思った。

 「津波に心を流されないで」というフレーズは、まあまあかもしれないが、「不幸に負けずにがんばれ」というのは、激しく違和感がある。

 津波に遭遇し、家族全員を失いながら一人生き残った人がいる。

 …とすると、その人は「不幸」なのか?

 「幸福」とは言わないが、明らかに「幸運」ではないか?

 一神教の信者だったら、「神に感謝」するところだ。

 避難所に避難し、生活している人々。

 彼らは皆、全員、「幸運」なことに、助かった人たちなのだ。

 どう考えても。

 「雨にも負けず」の宮沢賢治の場合、石原慎太郎都知事と同じく、熱心な日蓮信者なので、「雨=不幸」を自らに与えられた試練をとらえる傾向がある。

 石原都知事の言葉を使えば、「今回の津波は、日本国民に与えられた試練=国難だ」ということになる。

 私は、ちっとも「いい」と思わないが、「雨にも負けず」が宮沢賢治の詩の中でもっとも有名で、人気があるのは、日本人の多くが、心の底で、日蓮信者の考え方に共感しているからにちがいない。

 石原が、日蓮信者だということは、しばらく前にはじめて知ったことで、「あー、なるほど」と思ったのだが、公明党=創価学会は日蓮のことをどう考えているのだろう。

 それはさて、福島原発は、水ガラスの投入で、当面の危機を乗り切った感じだ。

 これから何が起こるかわからないし、 マスコミも、あれこれ不安を煽るだろうが、まずは「一安心」と言ってもいいのではないか、と、落第した元工学部生として、私は思うね。