☞ The Second Coming: Wrath and Rescue
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初回配信で書いたように、旧約聖書において、主の初臨と再臨を明確に区別して預言している箇所はない(John Piper談、前回メッセージ)。
しかし、ヨハネ14章にあるように
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
また、黙示録22章にも
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
とあるように
主イエスは、ご自身の再臨を明確に宣言しておられ、人類史(世界)の終わりが来る(黙示録20章~22章)。
一方、旧約の預言者たちの終末に関する預言は、イスラエル終焉の預言なのか、世界終末の預言なのかを明瞭に区別することはできない。これまで細部における記述を検討し、旧約預言者たちはもっぱらイスラエル終焉を預言したと結論付けたが、その後の考察から再考を要とする事態となっている。
イスラエルが終焉し、イエスの昇天後、新約時代が到来し、そしていずれ必ず世界の終末がやって来る。従って、年代が異なる2つの大きな山が存在するはずだが、旧約聖書預言には、この2つの異なる山を明瞭に区別する預言はない(John Piper談、前回メッセージ)。
また、イエスの初臨によって、旧約聖書(律法と預言者)はすべて成就したと考えるのが妥当(マタイ5:17-18)。
先に示したように、παρουσία(凱旋)というギリシャ語は、新約聖書においてはキリストの再臨のことを意味する。これは改革派神学においてはありふれた解釈ではないかと思われる。
マタイ24章においては、以下の4カ所で使われている。
Matthew 24:3 N-GFS
GRK: τῆς σῆς παρουσίας καὶ συντελείας
NAS: [will be] the sign of Your coming, and of the end
KJV: of thy coming, and
INT: the your coming and the completion
Matthew 24:27 N-NFS
GRK: ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ
NAS: so will the coming of the Son
KJV: also the coming of the Son
INT: will be the coming of the Son
Matthew 24:37 N-NFS
GRK: ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ
NAS: For the coming of the Son of Man
KJV: also the coming of the Son
INT: will be the coming of the Son
Matthew 24:39 N-NFS
GRK: καὶ ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ
NAS: so will the coming of the Son
KJV: also the coming of the Son
INT: moreover the coming of the Son
マルコ13章、ルカ21章では、παρουσίαは使われていない。
マルコ13章、ルカ21章、マタイ24章が、イスラエル終焉の預言であると推察される論拠は、それぞれ
Mar 13:30 Verily I say unto you, that this generation shall not pass, till all these things be done.
Luk 21:32 Verily I say unto you, This generation shall not pass away, till all be fulfilled.
Mat 24:34 Verily I say unto you, This generation shall not pass, till all these things be fulfilled.
という一文があるためだ。
This generationはおよそ40年を指すことから、これらの終末預言はイスラエル終焉を指し示していると解釈するのが妥当。
マタイ24章においては、イエスの再臨を意味するπαρουσίαが使われているため、イスラエル終焉の預言ではなく、むしろ世界終末を預言していると考えることができる。
これは極めて重大な事実であり、解決すべき矛盾点である。
ひとつの預言が、2つの異なる時代を同時に預言しているということがあり得るのか。
この不明確な事実について、整合性が取れるような解釈があるのか。
さらなる検討が必要だ。