みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#12 聖書信仰を堅持する

2020年11月15日 | 信仰の防衛
初めに

4.両者の譲歩

p14~
Concessions made
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

c. Jesse De Boer

Jesse De Boerもまた譲歩する。

事実、彼は、次のようなことばによって、最初に読者たちを警告する。

「 多くの基本的事項に関して、私とヴァンティルとの間には一致する点がないと考えたがる人を励ますつもりはない。その考えは純然たる間違い。そのような間違いをしそうな読者もいるが、ヴァンティルの考え方の全領域の要約を提示することによって、その間違いの信憑性を検証するために時間を割こうとは思わない。つまり、彼と一致する私の考え方の領域全体がある。但し、神がまるで真理体系の部分であるかのように話しておられるのに対して、ヴァンティルは、古典的クリスチャン思考方法によって話しているという事実はあるのけれども。」

d. Orlebeke

Orlebekeは、特に、諸事実に関する私の見解を取り扱う。

彼は観念論者の見解についてこう語る。

ある事実の存在(being)は、その事実の存在認知(being-known)と同一であると。

私が存在beingと認知knowledgeの間の相互依存性という観念によって影響を受けているとする証拠があると彼は考えている。

にもかかわらず、ある事実の認知とその事実の存在は同一であるという定説(テーゼ)を、私が防衛したことがなく、またその間違いを前提としていることもあると彼は述べている。

Orlebekeが信仰者と未信仰者の間に共通域に関する問題を取り扱う時、如何に私が徹底的にKuyperの見解から逸脱しているのかを示すために、Masselilnkや他の神学者らによって参考とされる私の一節を引用する。

参考:

無神学の教会?

キリスト系列とバビロン系列

教会の中にサタンが毒をまいたのです



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