第3戒
律法の否定的性格
p102~
The Negativism of the Law
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
本来、愚か者は保護の対象にはならない。
というのは、愚か者の問題点は他人にあるのではなく、自分自身にあるから。
箴言は、愚か者について多くのことを語っている。
キドナーは、愚か者について箴言がどのように語っているか、次のように述べている。
愚か者の問題の根は、霊的であって、精神的ではない。
彼は、愚かさを愛している。
彼は「犬がおのれの吐いたものに戻るのと同様に」(26:11)愚かな行為に戻る。
愚か者は真理を尊ばない。
むしろ、自分の心を軽くしてくれる幻想の方を好む(14:8)。
彼が心底において拒否しているのは、神を恐れることである(1:29)。
彼が愚かになっている原因は実にこの点にある。
愚か者の自己満足が悲劇的な結果に終わるのは、神を恐れることを拒んでいるからなのである。
愚か者の安心は、自分を滅ぼす(1:32)。
愚か者は社会にとって脅威。
愚か者と話しても時間の無駄。
知恵の言葉は彼のうちにはない(14:7、モファット訳)。
さらに深刻なのは、愚か者が何かを思い立つと、誰も彼を止められなくなる。
愚かさにふけっている愚か者に会うよりも、子を失った熊に出会う方がましである(17:12)。
それが、悪ふざけであっても(10:23)、喧嘩であっても、彼らの愚行を止められる者はいない。
愚か者は争いを巻き起こし(18:6)、ついには死に至る(29:11)。
愚か者に近づいてはならない。
愚か者の友となった者は、そのことを後悔するようになる(13:20)。
愚か者を使いに出すことがあっても、彼にことづけしてはならない(26:6)。
愚か者の愚行への走りやすさを示す例は、枚挙にいとまがない。
愚か者は、苦境から救い出されても、すぐに新たな泥沼にはまり込む。
インチキ医者から逃れても、さらに悪い医者にだまされる。
これは別に驚くべきことではない。
というのも、愚か者の本性は、愚行を求めているから。
律法の否定的性格
p102~
The Negativism of the Law
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
本来、愚か者は保護の対象にはならない。
というのは、愚か者の問題点は他人にあるのではなく、自分自身にあるから。
箴言は、愚か者について多くのことを語っている。
キドナーは、愚か者について箴言がどのように語っているか、次のように述べている。
愚か者の問題の根は、霊的であって、精神的ではない。
彼は、愚かさを愛している。
彼は「犬がおのれの吐いたものに戻るのと同様に」(26:11)愚かな行為に戻る。
愚か者は真理を尊ばない。
むしろ、自分の心を軽くしてくれる幻想の方を好む(14:8)。
彼が心底において拒否しているのは、神を恐れることである(1:29)。
彼が愚かになっている原因は実にこの点にある。
愚か者の自己満足が悲劇的な結果に終わるのは、神を恐れることを拒んでいるからなのである。
愚か者の安心は、自分を滅ぼす(1:32)。
愚か者は社会にとって脅威。
愚か者と話しても時間の無駄。
知恵の言葉は彼のうちにはない(14:7、モファット訳)。
さらに深刻なのは、愚か者が何かを思い立つと、誰も彼を止められなくなる。
愚かさにふけっている愚か者に会うよりも、子を失った熊に出会う方がましである(17:12)。
それが、悪ふざけであっても(10:23)、喧嘩であっても、彼らの愚行を止められる者はいない。
愚か者は争いを巻き起こし(18:6)、ついには死に至る(29:11)。
愚か者に近づいてはならない。
愚か者の友となった者は、そのことを後悔するようになる(13:20)。
愚か者を使いに出すことがあっても、彼にことづけしてはならない(26:6)。
愚か者の愚行への走りやすさを示す例は、枚挙にいとまがない。
愚か者は、苦境から救い出されても、すぐに新たな泥沼にはまり込む。
インチキ医者から逃れても、さらに悪い医者にだまされる。
これは別に驚くべきことではない。
というのも、愚か者の本性は、愚行を求めているから。