みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#11 再臨 The Second Coming: Wrath and Rescue, NO.8

2024年09月15日 | 再臨

The Second Coming: Wrath and Rescue

 

28分30秒から33分12秒まで。

◇◇

つい先ほど飛び込んできた動画。

☞ キリスト者と律法 ーあなたは律法と歩むのか、恵みと歩むのか-

動画配信者を批判したいのではない。

真っ当なクリスチャン(でありたい)なら、はやくこのレベルの議論を卒業して欲しい。

イエスの主張する聖書的善、特に山上の垂訓(モーセ律法の正規版)は実践しうるのか。

やって見れば分かる。恐らく2日ももたないはずだ。

結局、主の十字架の御前に土下座するしかないのだ。

携挙も同様。

真っ当なクリスチャン(でありたい)なら、一刻も早く卒業して欲しい。

迫害と苦難を通らなければ、神の国にふさわしい者ではない。

そう書いてある。

◇◇


たとえ、信仰のみによる義が現実であっても、

Rom 3:28  人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。 

また、キリストのみを土台としているにせよ、

Rom 5:9  ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 

Rom 5:19  すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。 

私たちがどのようにして神によって受け入れられ、どのようにして赦され、どのようにして神の家族に養子とされ、どのようにして御国に入場したのか、その方法とは何かということです。

Col 1:13  神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 

にもかかわらず、新約聖書全体を通して、不敬虔な者を義とすることにより、神はただただ義であると考えるのです。

それで、敬虔なる人は再臨のための準備が整います。

分かりますね。

新薬聖書全体はそのように組み立てられていて、これがあなたの責務です。

これが、聖徒たちに対するあなたの主な責務です。

彼ら聖徒たちが、栄光ある、驚嘆すべき、そして恥としないキリストに見合うだけの価値がある者とされるための責務。

ふさわしいとはどういうことでしょうか。

そのことばに躓くかもしれません。

私をふさわしい者とした。

私を御国にふさわしい者にした。

当然受けるべきという意味ではありません。

御国を当然受けるべき者という意味ではない。

マタイ3章8節。

Mat 3:8  それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
therefore, bear fruits worthy of repentance.

当然悔い改めを受けるべきという意味ではありません。

それでは意味がない。

実は悔い改めの後に来るはずです。

ふさわしい実を結べ。

これはどういう意味でしょうか。

ほぼすべての翻訳で、in keeping with as befit(相応している状態)と訳されています。

worthy(ふさわしい、相応しい)とはそういう意味です。

多くの苦難を経て、あなたの人生は、やがてやって来る栄光に、適切であるか、適合しているか、準備されているか、適切であるか、同調しているだろうか。

或いは、スーパーボール中継を見て、この世とともに閉ざされてしまっているか。

恥を知れ。

私は見ませんでした。

数秒の予告番組は見ました。

そんなことをしても、主の再臨の準備はできません。

こんなのではなくて、その後、少しばかり苦しむ必要があります。

私は極めて真剣です。

11節。

2Th 1:11  そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。 

苦難を通して、あなたをふさわしい者とするということ-これが、正当な裁きであるということのひとつの理由です。

このために、すなわち、再臨に際して恐れ慄くのではなく、栄光化し、驚嘆する準備を整えるために、私たちは、いつもあなたがたのために祈っています。

私たちの神が、あなたがたをその召しにふさわしい者とするために。

ここが、このテキストの終わりにおける最初の箇所です。

この箇所が(テキストの)論旨であり、宣教の目的であります。

再臨に関してであれ、何であれ。

私たちに任せられた人々を、キリストにある召命にふさわしい者とするために、私たちは宣教するのです。

また、空中で主とお会いするために引き上げられる時に、その者たちが持つ召命についてもふさわしい者であるようにと宣教するのです。

どのように彼らはふさわしい者とされるのでしょうか。

御力によって、善のためのあらゆる決意と信仰のあらゆる働きを神が完了することによって、であります。

つまり、

苦難をくぐり抜けて(働く)神の力は、信仰を純化し、愛の現実的な働きへと善的な決意と変えてくださいます。

そして、私たちからこの世への愛着を取り除き、主イエスが来られる時、主の栄光にふさわしい者として下さいます。

12節。

2Th 1:12  それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。 

あらゆる苦難と私の宣教、すべてのスモールグループ、あらゆる祈りという恵みによって、私たちの主イエスの御名があなたがたの中で栄光化され、あなたがたが主イエスの中で栄光化されるためです。

それらから流れ出す恵みが、あなたがたを全く異なる人にするのです。