The Triumphal Entry (Mark 11:1–11)
訳出時間枠:25分27秒から最後まで
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ヨハネ福音書にこう書いています。
「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
それから、プロローグの後半部分、「ことばは肉となって、私たちの間に住まわれた、・・恵みと真理に溢れて。」
この語句、「彼は私たちの間に住まわれた」とは、テキストにおいて字義通りに訳出すると、「彼は私たちの間に幕屋を張った」となります。
もちろんご承知の通り、イエスは幕屋であります。
イエスは幕屋が指し示すあらゆることの成就であります。
彼は神殿。
「ひとつの石も残さずに、あなたはこの神殿を破壊することはできる。しかし、3日後に、私はそれを立て直すであろう。」
彼はご自身のことを話していたのです。何故なら彼が神殿だから。
そして、ベツレヘムで生まれたが故に、その場所に行ったのです。
ここに最高級の皮肉があります。
BC586年、エゼキエルは、神の栄光が神殿を離れ、聖なる町を離れ、オリーブ山のべタニアに下るのを見ました。
聖書が神の栄光の輝きと定義するお方は、べタニアから来る、オリーブ山からやって来る、東門へと入り、聖なる町に行き、そして神殿へ行く。
分かりますか。
BC586年に神の栄光は神殿を離れ、そして今、神の栄光が戻ってくる。
それを誰も理解しようとはしなかった。
王とは栄光の王であり、向けられた運命に立ち向かうお方であり、そのために生まれたお方なのです。
あの日の日曜日、エルサレムにおいて、どのようにしてイエスの誕生を祝うクリスマスが成就したのか皆さんは知っておられるでしょう。
お祈りします。
私たちの父よ。私たちのメシアのあらゆる足跡が、時代時代に、そして各世紀ごとに用意されていた、その仕方に感謝します。何の根拠もなく、何の目的もなく、なされたことは何ひとつなかったということに感謝します。しかし、ひとりの人として、主はすべてのことを完璧に成就しました。父よ。単にパームサンデーの日にだけでなく、また聖なる週だけでなく、常に私たちがアドヴェントを祝うことができますように。エルサレムへの主の入城を覚えることができますように。アーメン。
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追記:
この国に、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)分院を作ろうとしている。
どういうことだろうか・・。