☞ The Second Coming: Wrath and Rescue
52分29秒から57分10秒まで。
◇◇
その日、主は来られる。
これが主がなさろうとしていること。
その日、主は来臨する。
聖なる者たち、主の聖徒たちにあって、栄光を受けるためにやって来る。
すべての信じる者たちの中で感嘆されるために、やって来られる。
さて、ここで、主の再臨の驚くべき目的について3つの注意点について説明しておきたい。
一つ目。
これはキリストの目的であると言うこと。
主は讃えられるためにやって来られる。
賞賛されるために。
これがキリストの目的です。
私たちが読んでいること、キリストの目的とは、キリストが高く上げられること。
主が来られる時、キリストが高く上げられること。
あなたがたが感嘆することが主の目的です。
主の来臨の目的は、称賛を受けること。
主がやって来るのは、称賛されるため。
感嘆されるためにやって来る。
主である「私」がこの出来事の中心。
万物において、キリストの究極の目的は、キリストの栄光化。
Col 1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
万物は、御子によって、御子のために、創られた。
御子によって、御子のために。
何故キリストはそれらをご自身のために創られたのか。
創造が、キリストによって、キリストのために、起きたように、再臨も、キリストによって、キリストのために、起こるのです。
これが、来臨の目的に関する注意点の一つ目。
二つ目、その目的はキリストの栄光ではないと書いてある。
それは真実かもしれません。
しかし、聖書に書いてあることは、その目的とは、人において、キリストを栄光化すること、キリストの栄光化であり、キリストの花嫁である人において、キリストを驚嘆すること。
私のようなキリスト教快楽主義者にとって、これは本当に重要です。
言い換えるなら、万物創造の究極の目的は、贖われた者たちの心がキリスト(の再臨)を勝ち誇ることであります。
新天新地について雄弁に語る有名な神学者の書物と読むと、すべての星、すべての銀河、すべての山々、すべての山河、すべての海、すべての津波、すべての火山は、新しい祝福へと変えられる。
その通り。
しかし、それは、大して重要ではない。
比較して見れば、ということ。
それらは、単なるがらくた。
単なるごみくず。
しかし、あなたはがらくたではない。
あなたはがらくたの中で生きている。
あなたは、がらくたの中に組み込まれている。
あなたは、がらくたが復活するのを望みますか。(笑い)
しかし、この宇宙が何たるかは、栄光化する価値のある存在であり、王の中の王を驚嘆することのできる、心を持った人間に関することであります。
私たちが宣教している対象者は、そのような人たちです。
つい先程出先でちょっとしたインタヴューを受けました。
2時間前にそこでビデオを撮りました。
セッティングはこんなもんだったでしょうか。
彼らは私に聞きました。
「あなたは最近神について何か新しいことを学びましたか。」
そこで、私は、「聖書をみな読みましたが、神のご性質に変化はないと思います」と返した。(笑い)