☞ Government: Christian Worldview with R.C. Sproul
6分23秒から11分54秒まで。
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市民的服従に関して、教会の責任と奮闘している人々にとって大変厄介な問題がこれでした。
この聖句は新約聖書において孤立している聖句ではありません。
くり返しますが、私たちは王を敬い、行政長官に服従するように言われています。
ペテロは次にように言っています(第1ペテロ2:13-17)。
キリストが敬われるために、 行政長官に服従しなさい。
さて、良く理解しておくべきことが2つあります。
第1に、すべての地上の政府は、聖書的に言うと、ある意味ヒエラルキー(階級制度)的です。
すべての人間社会の権威というのは、底辺の野犬捕獲人から、その上の知事、上院議員、王子や王、大統領など、すべては神とキリストの権威下にいます。
しかしながら、これら人間社会の権威は皆、神の規則を実践しているのでしょうか。
もちろん、実践してはいません。
パウロがどこか他の箇所で話しているように、高位の人たちに、そして政府に霊的邪悪が存在することはあり得るのです。
オスカー・クルマン( Oscar Cullman)、スイスの神学者は次のように示唆しています。
この世の政府は、恐ろしいほど悪魔的になり得るし、イエスキリストの統治に激しく抵抗する姿勢を示すことがある。
しかしながら、クリスチャンは行政長官に従うことが新約聖書の原則です。
何故なら、人間社会の権威をほめそやすためではなく、それらの権威の背後にキリストの権威と神の権威があることを私たちクリスチャンは認めているからです。
もう一度言いますが、ペテロの声明は「キリストが栄光化されるために、行政長官に従いなさい。」
政治的機関や行政長官に対する従順が、何故キリストに名誉をもたらすことになるのでしょうか。
私たちが理解すべき重要な概念があります。
新約聖書にもありますし、旧約聖書にもあります。
罪というのは、個々の、かみ砕くことのできる程度の罪のことや、特殊な罪ある人たちのことだけを言うのではありません。
国民全体の罪という、連帯責任的考え方もあるのです。
つまり、聖書的に組織的な罪というのもあるということ。
罪に関する広い意味での解釈において、聖書的に、罪とは、特殊な、微細な、個人的な罪だけでなく、いわゆる、この世における邪悪複合体なるものも存在します。
邪悪複合体。
この邪悪複合体の背後に立っているのは誰でしょうか。
神学的に。
この世の君、聖書的には反キリストとして同定されている者、サタンです。
キリストより自分を高く上げる者、キリストの御業に対抗し、敵対して動き回る者。
称号のantiとは、ギリシャ語のantiを英語にすると、意味は「代わりに」「敵対して」。
聖書的に、両者は反キリストの性状と関連する行為を意味します。
キリストに敵対するだけではなくて、キリストに取って代わろうとする者、キリストの場所を占拠しようとする者。
反キリストの基本行動、サタンの宇宙的闘争とは、不従順の霊への誘導であり、聖書はこれを不法(lawlessness)と呼びます。
歴史的啓示による反キリストは、テサロニケの手紙に書かれています。
何という人ですか。
不法の人(the man of lawlessness)(第2テサロニケ2章)。