初めに
4.両者の譲歩
p12~
Concessions made
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til
◇◇
私の絶対主義(訳者注;absolutism、他宗教を邪教と考え、その宗教をキリスト教に置き換えるべきであるとする考え方)にもかかわらず、1924年クリスチャン改革派教会会議における一般恩恵に関する「3つの要点」を私が支持したいと考えているとMasselinkは認めている。
Ridderbosのことばを引用して、彼はこう述べている。「ヴァンティルは、一般恩恵を望ましい神の配剤として見事に支持している。」
Ridderbos自身も次のように断言している。「私の意見ではあるが、ヴァンティルは市民権に関して、第3の要点について正しい見解を持っている。」
別の機会に、彼は次のように述べている。
「ヴァンティルは3つの要点を信じているということを、われわれは微塵も疑問視してはいない。問題となるのは、これらのことすべてが彼が主張する前提と整合性が取れるかどうかだ。」
私が第1の要点と第3の要点を支持しているにもかかわらず、どうして私が知的アナバプティズム(再洗礼主義)から逃れることができるのか理解できないとRidderbosが言う場合、この判断はあまりに痛烈すぎるとMasselinkは考えている。
訳者注:アナバプティズム(再洗礼主義)とは。
それ故、Masselinkは、ある意味でクリスチャンとノンクリスチャンの間のアンチテーゼは明白であると考えている。
訳者注:アンチテーゼとは?
原則として、自然の人(natural man)の堕落は、極めて明白である。
自然に関する正しい科学の基本原理は、聖書においてのみ認められる。
一般恩恵ゆえに、自然の人に関して、神に関する正しい知識と道徳のかけらが保全されているという考え方を彼が強調する時、それは、外部ソース、すなわち神に対する知識であり道徳のことであることを意味している。
「しかし、一般恩恵が欠如すれば、神に関する知識は完全なる間違いとなるだろう」と。
参考:
・ディスペンセーショナリストは「都合のよい白痴」扱いされている
・神学的エイズチェックしてますか?
・われわれに与えられている素晴らしい力
4.両者の譲歩
p12~
Concessions made
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til
◇◇
私の絶対主義(訳者注;absolutism、他宗教を邪教と考え、その宗教をキリスト教に置き換えるべきであるとする考え方)にもかかわらず、1924年クリスチャン改革派教会会議における一般恩恵に関する「3つの要点」を私が支持したいと考えているとMasselinkは認めている。
Ridderbosのことばを引用して、彼はこう述べている。「ヴァンティルは、一般恩恵を望ましい神の配剤として見事に支持している。」
Ridderbos自身も次のように断言している。「私の意見ではあるが、ヴァンティルは市民権に関して、第3の要点について正しい見解を持っている。」
別の機会に、彼は次のように述べている。
「ヴァンティルは3つの要点を信じているということを、われわれは微塵も疑問視してはいない。問題となるのは、これらのことすべてが彼が主張する前提と整合性が取れるかどうかだ。」
私が第1の要点と第3の要点を支持しているにもかかわらず、どうして私が知的アナバプティズム(再洗礼主義)から逃れることができるのか理解できないとRidderbosが言う場合、この判断はあまりに痛烈すぎるとMasselinkは考えている。
訳者注:アナバプティズム(再洗礼主義)とは。
それ故、Masselinkは、ある意味でクリスチャンとノンクリスチャンの間のアンチテーゼは明白であると考えている。
訳者注:アンチテーゼとは?
原則として、自然の人(natural man)の堕落は、極めて明白である。
自然に関する正しい科学の基本原理は、聖書においてのみ認められる。
一般恩恵ゆえに、自然の人に関して、神に関する正しい知識と道徳のかけらが保全されているという考え方を彼が強調する時、それは、外部ソース、すなわち神に対する知識であり道徳のことであることを意味している。
「しかし、一般恩恵が欠如すれば、神に関する知識は完全なる間違いとなるだろう」と。
参考:
・ディスペンセーショナリストは「都合のよい白痴」扱いされている
・神学的エイズチェックしてますか?
・われわれに与えられている素晴らしい力