みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#593 神の法第五戒

2020年08月18日 | 創世記
第5戒
人の権威の限界

217~
The Limitation of Man's Authority
The Fifth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

イエスキリストは、真の王として、神の法言(law-word)を成就し、神の支配を確立するために来臨した。

詩篇40:7
今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。

ヘブル10:7
さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。

ヘブル10:9
さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために来ました。

Wrightによると、申命記17章14~20節について、古代近東の他国にはそのような記載を想像することは不可能。

王権は、その国の他の部署すべてと同様、神聖な法の対象だった。

しかし、聖書律法において、王、裁判官、祭司、父親、そして国民は皆、書かれた神の法の下にある。

身分が高ければ高いほど、従順がより重要。

すでに明白であるが、個人的気まぐれが神の法よりも優先されることはない。

父親が2番目の息子を愛しているという理由で、もう一人の息子のために、法的かつ神聖な相続人が除外されることはない。

このことは、多妻制の場合に明示される。

例えば、第1子が憎まれた妻の息子である場合。

申命記21:15~17
ある人がふたりの妻を持ち、ひとりは愛され、ひとりはきらわれており、愛されている者も、きらわれている者も、その人に男の子を産み、長子はきらわれている妻の子である場合、その人が自分の息子たちに財産を譲る日に、長子である、そのきらわれている者の子をさしおいて、愛されている者の子を長子として扱うことはできない。きらわれている妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から、二倍の分け前を彼に与えなければならない。彼は、その人の力の初めであるから、長子の権利は、彼のものである。 

いずれにせよ、相続権の領域に関して、父親は、個人的ないしは非宗教的な理由を行使する自由はない。

神の法は勝利しなければならない。

相続権の唯一の法的根拠は宗教的。

以上から、次のような結論が当然得られる。

権威とは、宗教上の概念であるだけでなく、全的概念。

権威は、神の絶対的法秩序、すなわちわれわれの命のあらゆる点における認識と関係をもっている。

この認識の出発点は家庭にある。

「あなたの父と母を敬え」

子は神の権威の下にある両親に身を委ね、そして従うという必要条件をもつこの戒めによって、宗教的権威にあって、基本的かつ基礎的訓練が生まれる。

もし家庭の権威が否定された場合、人は、生命組織に反する、命そのものに反する大変革の中に巻き込まれているということを意味する。

かくして、従順は命の約束を運ぶ。

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