みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #147

2018年01月12日 | コーヒーブレイク
エペソ4章13節
ついに
私たちがみな
信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し
完全におとなになって
キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです

この聖句にも重大な誤訳があるので指摘しておく。

>信仰の一致と神の御子に関する知識の一致

と書いてある。

逐語訳されている英語訳を見てみると

the unity of the faith and of the knowledge of the Son of God

とある。

直訳すると

神の御子の信仰と知識との一体化

ここで、一体化と訳した単語はἑνότηςで、意味は

ἑνότης
From G1520; oneness, that is, (figuratively) unanimity: - unity.

つまり、ひとつになること。

「一致」という意味もあるが、onenessとあるので原義ではない。

ここでは、「一体化」とした。

上の日本語訳と比較してほしい。

以前にも指摘したが、この手の日本語訳の背景には、必ずと言っていいほど、「我ワレは~に対する」という訳出パターンがある。これは「使徒信条告白」を主張・強調するためのデモではないかと思われる。

このワレワレワールド故に、「神の御子の信仰の一致」とはせずに「(ワレとワレの)信仰の一致」と訳出し、また、「神の御子の知識」ではなく、「神の御子に関する(ワレの)知識」と訳出しているのだ。

神の子の信仰と全知と一つになり

と訳出すべきではないかと思う。

つまり

主イエスのフェイス、そして主のマインドとひとつになる

その結果(εις )

unto a perfect man(完全な人)に至る



Coffee Break, #146

2018年01月12日 | コーヒーブレイク
一部引用開始

・・・

この場合、人称代名詞も名詞も属格で、重複して「香り」に係っています。

・・・

>この場合

とある。

彼は当ブログの中のこの記事しか読んでいない可能性が高い。

>人称代名詞も名詞も属格で、重複して「香り」に係っています。

とある。

つまり、彼が言っていることは

την οσμην της γνωσεως αυτουにおいて
γνωσεως(知識の)もαυτου(彼の)も
την οσμην(香り)に掛かるということ。

併記すると、「知識の香り」「彼の香り」

にもかかわらす、なぜこの箇所を「彼の知識の香り」と理解しようとしないのか。

ここに「我(ワレ)」を無理やり介入させて、「我(ワレ)が彼を知る知識の香り」とする理由は何か。

素直に「キリストの(放つ)知識の香り」と解釈すれば良いではないか。

以上で、考察を終了する。

それ以下については割愛する。

・・

ワレワレワールドをグルグル回りしながら、約束の地に到達することはできない。

スーパーナチュラルワールドをご一緒に冒険してみませんか、Oさん。



Coffee Break, #145

2018年01月12日 | コーヒーブレイク
許可が下りたので、ここに彼らの言い分を転載・公開しておく。

記載者の名前等は不明。

・・

この場合、人称代名詞も名詞も属格で、重複して「香り」に係っています。そしてギリシャ語の属格は、目的のニュアンスをもつこともあるので、「キリストを知る知識の香り」と訳したところで、「初歩的なミス」と非難するのには強い疑問を感じます。

また「香りを放っている」の主語は「神」であり、文脈上「父なる神」のことを指していること、そして同じ文節に「私たちを導いて」「私たちを通して」という手段性の言及があるので、「キリストを知る」という目的のニュアンスを訳出していたとしても、問題はないのではないかと思います。
翻訳作業に少しでも携わっている人ならば、一つ一つの単語の意味を追う逐語訳が最適な訳文とはならないことは知っていると思います。

これは全世界共通の傾向で、よくあることですが、一つの言語の文法を学び、一通り読み書きや会話ができるようになっても、それで翻訳の専門家になったことにはなりません。
そして聖書の翻訳作業は非常に高度な専門知識の集積ですので、「初歩的なミス」という批判はかなりイタイ表現ではないかと思います。

・・

次回、この論考に対する反証を掲載する。