みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Glorify God, #15

2017年01月05日 | 聖書研究・信仰
この体のために主が在るということは、いくつかの意味を含んでいる。

(1)この体のために主が在るとは:

この体を罪から解放するという考えを伝える。

ほとんどすべての罪はこの体と何らかの関係がある。

相当数の罪は、特殊な生理学的原因によって引き起こされる。

例えば、豪華な食事は生理的味覚の道楽であって、飲酒は肉の欲の満たしだ。

多くの癇癪は、肉的不快感によって起きる。

神経過敏は、もろさと荒さを引き起こす。

異常人格は、しばしば異常な生理的な取り繕いから生じる。

多くの悪名高き罪人は、正常な人とは異なる身体的構成要素から成る。

これらは皆事実ではあるが、それでもなお主はこの体のために在る。

主を万物の主と認め、そして信仰によって主の約束を主張しつつ、主に自分を献げるなら、主によって、我々は己れ自身から脱出できるようになる。

我々の肉的組成がどうあろうと、我々の中にある弱さ云々とも関係なく、主にあって我々は己の罪に打ち勝つことができる。