ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

健診

2008-06-13 20:49:30 | 平々凡々

 

 

5月に会社で受けた定期健康診断の結果が返ってきた。ほぼ予想通りの結果ではあったが、さてさて。

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    実は5月初めに尿酸値を下げる薬を飲み始めた。右足中指が腫れて、痛くなったので、「すわ、痛風だ!」と思ったのだ。慌てて掛かり付けの病院に行き、処方箋を書いてもらって、薬を手に入れた。 それが良かったのか、腫れはすぐに引いて支障はなくなった。尿酸値の過去の経緯は、一昨年から8.4→9.2と進み、今年は6.2と判定値7.5を下まわった。明らかに薬が効いたようだ。

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社の同年代の人達に訊いてみると、痛風の薬は早く飲んだ方が良いという。骨がぼろぼろになって溶けてしまうという人もいた。これを聞いて私も早めに手を打たなくてはと思っていたのだった。

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その他に、今年から検査の対象となったメタボだが、予備軍と診断された。ハッキリとメタボの烙印を押されなかっただけでも有りがたいとは思うが、中性脂肪の値とともに、太りすぎがすべての原因だ。といって酒をやめると、精神障害に陥ることは間違いないと思えるし、どうしよう。食事を控えることと、もう少しエアロビに精を出すことにしたいが、どうもやる気が起こらない。精神が停滞気味だ。

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オール電化

2008-06-12 21:15:32 | 平々凡々

  地球温暖化問題がクローズアップされて、猫も杓子もCO2排出量やエコと云いだした。産業界も国の指導もあって、エネルギー削減に取り組んでいる。そして、我が社も!

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 我が社の主要製品の一つに深夜電力を利用した温水器がある。電気料金も安いし、便利だし、安全だし、ということで、電力会社の肩入れもあって急速に普及している。さらに、ここ数年はオール電化と銘打って、IHヒータやエコキュートなどと組み合わせて大々的に宣伝しており、毎年右肩上がりの需要カーブを示している。 わが社でも、大手メーカーに伍して、オール電化製品(温水器・エコキュート・IHヒータ)を販売している。ただIHヒータは家電品なので開発競争力が劣ることは仕方ないので、大手のH社製品を当社ブランドとして販売している。

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 さて、我が家は今年の秋に築10年を迎える。オール電化とは云いがたく、温水器だけしか取り付けていない。10年前はIHヒーターはマイナー製品だったのだ。だから当然都市ガスを使用しているが、2か月位前からガスの点きが悪くなった。ガス器具の寿命なのかもしれない。<o:p></o:p>

 台所は南西に面しているので、夏場はガスの熱と西日で台所の温度は急激に上がる。このためヨシズを置いたりして対策は取っているが、暑いことは変わりない。それに、最近は私もだが物覚えが悪くなって、火を掛けたまま忘れてしまうこともある。だから、思い切ってIHヒーターに取り替えることに決めた。低所得者にとって痛いことは痛いが、まだ支払い能力があるうちに、とも思ったのだ。

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 IHヒーターは磁気という眼に見えないエネルギー要素を利用しているので、昔は鉄製の鍋しか使えなかったが、最近は磁気の制御技術が発達して、アルミなどの非鉄品でも使えるようになった。だから便利・安全・安心・清潔・・・ではあるが、ある程度の鍋、ヤカン類は買い替えなくてはならない。丸底の鍋は使えないのだから。ただ調理というか火をかける時間はガラッと変わると思うから、当分は妻が取り説片手に汗を絞ることになりそうだ。

 

 今日、IHヒーターの取り付け工事だった。心配だったから、会社から妻に携帯で確認したが、無事に取りついたとのことで安心した。 が、鍋は買ってないので どんな料理ができるのか、一抹の不安も抱えて帰宅した。基本は底が平たい鍋ということだが、そのためかどうかはわからないが豚ステーキで、おいしく食した。焼酎用のお湯も今までどおり、やかんで沸かしたが、あっという間にピーピーと音が鳴った。 

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ボーナス

2008-06-11 21:02:03 | 平々凡々

 我が家の玉ねぎ

 

10日はボーナス支給日だった。 銀行振り込みなので分厚い封筒を握りしめるという快感を味わうことはない。うすっぺらな「賞与明細書」が配られるだけだ。 56歳になって役職定年という理由でリストラされて、給料が半分になったが、それでもボーナスは嬉しい。 

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ボーナス前日に、妻がぽつねんともう後1回だね、という。 何のことか分からなかったが、よく聞くと来年3月で2度目の定年を迎えるから、もうボーナスが入らない、と言っているのだった。 実を言うと、ボーナスは在籍期間に対して支払われるので、正確にいうと、今年の冬、来年の夏と2回もらえることになる。

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今の契約は62歳になる3月までだから、それ以降は再契約することになるが、給料はまたまたダウンすることは間違いない。社の再雇用規定では、現役時代の役職に応じて給料が定められており、それを見るとびっくりするほど給料が安い。 どうも年金との併用で暮らしてゆきなさい、と言っているようだ。 どこの会社でもそうなのか知れないが、この格差には驚く。

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私の前の席のK君、 私と同年配であるが、この2度目の定年を今月迎えた。 ちょうど今日、7月からの継続雇用についての意志確認があったようだが、「ボーナスがなくなる!」 と私にささやいた。 我が社の新人事制度適用第1号なので、どんな給与になるか興味津々だったので、よく聞くと、どうも給与は現状通りだが、ボーナスは出ないということらしい。 だから、実質的に年間所得は5ヶ月分くらい減ることになる。これは実に30%のダウンだ。

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それでも、5体満足で働けるうちが華なのかもしれない。若い頃のように無駄なお金を使わなくなったし、生活も堅実になっているので、派手な生活をしなければ、妻と二人で暮らしてゆけるだろう。寂しい話だが、仕方がない。

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書き終わって、大変なことを忘れていた。妻の腰痛騒ぎでボーナス小遣いを貰うのを忘れていた。さぁ、小遣い交渉だ。いくら貰えるだろうか。諸物価高騰でやりくりがつかない!と柳眉逆立てる姿が見えるようだ。 

 

(そして今晩、妻が小遣いを渡してくれた。額は昨年暮れと同じだった。 ありがとう!)

 

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枇杷

2008-06-10 21:21:55 | アウトドア

 

土曜日、ゴルフの翌日で肩が痛かったが、天気は晴れ。天気予報では日曜から雨マークが見え隠れしているので、どうも梅雨に突入しそうだ。 だから、雨が降る前にと、枇杷を取り入れることにした。 枇杷に袋かけをしてから、約2か月。 小さかった実も大きくなって、色づいていた。 試しに一袋を開けて食べると、みずみずしく、甘い。 これはもう大丈夫だと妻と相談して、脚立を物置から取り出した。

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まず、枇杷の収穫の前に、玉ねぎの収穫だ。 枇杷の木の下に玉ねぎを植えているので、脚立の足が当たる。玉ねぎは妻が丹精込めていたので、踏み荒らすと怒られてしまう。 ちょうど玉ねぎも収穫の時期だったので、もっけの幸いだ。 数十個の玉ねぎを取り入れて、干せるようにひもで結んだあと、枇杷の収穫を始めた。

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脚立に上って植木ばさみで袋ごと枝を切って、下で待ち受ける妻に渡す。 腰痛の妻が痛いのを我慢して受け取った枇杷をコンテナに入れて行く。 コンテナがいっぱいになったら袋からビワを取り出して大きなザルに並べる。  熟していると思われる日当たりが良い上の方から取り始め、コンテナ4箱分を収穫した。それでも枇杷はまだ30袋以上は残っていたが、いっぺんにとっても処理ができないので、残りは後日に廻すことにした。

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我が家の枇杷は「茂木」という長めの品種で、親父が植木市で買い求めていたのを、家を改新築した10年前に植え替えたものだ。1昨年に10本ほどの枝に実が付いて、食べたら意外と美味しかったので期待していたが、昨年はなぜか全然できなかった。 だから、遠賀のAさんやネットで手入れの仕方などを調べて、私なりに手入れしたのだが、それが功を奏して思わぬ豊作となった。 やはり、手を入れるとちゃんと応えてくれるものだ。

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 今年も料理上手の次女が枇杷のジャムを作ってくれるだろうか。楽しみだ。

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久しぶりのゴルフ

2008-06-09 21:18:42 | アウトドア

     妻が植えているキュウリです。

 

    ほぼ2か月ぶりにラウンドした。5月の快適な時期に、ゴルフに行かなかったのはここ数年なかったことだと思う。最近は私の周りではゴルフ熱が沈静化しているようだ。

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 妻が熱をだして腰痛で唸っていたが、私が立案者なので取りやめるわけにもいかないので、妻には悪いが病人を置き去りにして出かけることになった。ごめんね。

 

 私のホームコース、瀬板の森GCに10時半に到着した。すでに私の囲碁仲間のHさんと、そのお友達の女性(Oさん)、それに我社のH君は来ていた。

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OさんはHさんと同年齢というから、私より一つ下だ。もう30年以上の付き合いという。中洲の繁華街に店を構えているそうで、しっかりして、かつ笑顔が可愛い美人だった。Hさんが大阪に赴任していた折も、福岡に帰省すると欠かさずに足を運んでいたのも、うなづけた。<o:p></o:p>

 

風が若干あったものの、湿度が低くて快適な日だった。晴れ男の真骨頂発揮というところだろうか。アウトは美人の女将さんの前で恥をかきたくないという思いからか慎重にラウンドした。ドライバーが不安定だったので、大ぶりはせずにフォローだけを意識してスイングしたのが良かったようで、久しぶりに44のスコアだった。それに3番ミドルホールでフェアウエイ中央の1本木を見事に超えた2打目が、ピン横2mに付いて、パットもこじ入れてバーディまで取ってしまった。<o:p></o:p>

 

これに煽られたのか、Hさんはことごとくパットが嫌われて、50をオーバーという不調だった。Oさんは45! スイングがしっかりした人で、私より良く飛んでいた。(涙)<o:p></o:p>

 

インはリラックスしすぎだったのか、アウトではなかったOBが4個も出て、スコアは51。みんな私と似通った出来だった。結局トータルは95。 80台は遠い夢の世界になりそうだ。<o:p></o:p>

 

翌日、右肩が痛い。以前はこういうことはなかったのだが、やはり筋肉が老化しているのだろうか。後半のスコアが悪かったのは、筋肉の耐性が衰えて、正常なスイングができていなかったと思われる。妻の腰痛と云い、私のゴルフ痛と云い、先行きが危うい。

 

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ハウステンボス その後

2008-06-08 21:10:22 | 紀行

 

 

3日ぶりに我が家に帰って、ほっとしたのか疲れすぎていたのか・・・・。

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●その1、夢の世界ですよ!

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 家に戻った晩、久しぶりに寝心地の好いベッドで熟睡していた。

 ところが、和音君がサファリパークのような草原に居て、そこをチータか豹が襲いかかろうとしていた。 それを見た私がそのチータのしっぽを捕まえて、殴りつけ和音君を救出しようと闘った。

 

----- けれど、悲鳴を上げたのは妻だった。どうも夢の世界だったらしい。が、その時、ちょうど妻も夢を見ていたと言う。 九十九島観光の遊覧船から和音君が海に落ち込んだので、妻が果敢に助けるために海に飛び込んだ瞬間だったらしい。

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妻も気が急いて焦っていたのだろう、私のDVを見逃してくれた。ごめんね、和音君を助けていたんです!

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●その2、ダウン

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夢の中で冒険した翌日、妻が元気がない。疲れが残ってるのだろう、と簡単に考えていたら高熱が出て腰も痛くて歩けない程だという。安静にしときなさい、と言って私は出勤した。長女が面倒みてくれたが、和音君も熱が出て元気がないそうだ。病院に行き薬をもらって、熱は収まりつつあるが、腰は依然として痛いらしい。しばらくは無理をさせられない。早く原因が分かればいいが。

 

妻は、風邪をこじらせて高熱が続いた結果、蓄膿症を患わせ、それと同時に背骨の最下端の骨が10ミリ以上も滑って(ずれて)いたのが判明した。 ここ1週間で3つの大きな病気を背負い込んでしまった。早く治ればいいが。

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ハウステンボスにて

2008-06-06 21:28:01 | 紀行

 

 

 

●假屋崎省吾の華麗な世界―薔薇の輪舞曲―<o:p></o:p>

2日目の朝食はレンブラントの間でバイキングだった。8時過ぎに行ったが、幼児連れなので入口近くに陣取って、楽しく食事していたが、目ざとい娘たちが彼が入ってきたのを見つけた。男3人、女1人の4人連れだった。中央部の席しか空いてなかったので、彼らはそこに陣取ったが、有名人らしくもなく自然な雰囲気で料理を選び、ごく普通に食事をしていたように見えた。彼一人、金髪に染めてはいたが、全員が落ち着いた衣服で、ごくごく普通で食事も短時間で終えた。<o:p></o:p>

ちょうど、30日からパレスハウステンボスで華道歴25周年記念を兼ねて首題の催しが始まっており、そのオープニングとサイン会などに来ていたようだ。

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●チヌ<o:p></o:p>

朝食後、孫たちとホテルヨーロッパの船着場で遊んでいたら、水面に波が立っている。どうしたのか見てみると、チヌが群れていた。大きいのは1キロ強、小さいのでも700グラム程度だ。何十匹も泳ぎ回っている。良く見るとフグも泳いでいた。そこは白鳥のえさ場であり、えさを求めて集まっているのだろう。白鳥しか餌をやらないでくれ、と書いてはあったが、こそっと和音君と二人で餌を撒いた。素早く集まって餌を飲み込むのが迫力あった。釣り仕掛けがあると、簡単に釣れるなぁ、と思ったが・・・釣ると叱られるのだろうか?<o:p></o:p>

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●風呂<o:p></o:p>

ホテルヨーロッパは都市型ホテルの最高レベルです!との謳い文句だった。確かに、ベッドや間取り、室内装飾・家具など落ち着いて素晴らしかった。風呂も大きなバスタブでゆったりと入れそうだった。<o:p></o:p>

が、その風呂で困った。マリリンモンローがシャボンを泡立てて浸かっているような、大人一人がゆっくりと入るように設計されており、シャワーが浴槽用しかなく、湯温調整も自動ではなく水と湯を別々に自分で水量を設定せねばならない。おまけに洗面器も置いてないので、日本の風呂のように浴室で体を洗って、浴槽に浸かる、という動作がしにくい。湯が汲めないのでシャワーを浴びるしかないが、その温度調整や水量調整に手間取って、只でさえ風呂が苦手の和音君を温めるのに苦労した。洗面器くらいは置いていてくれればどんなに助かったことか。<o:p></o:p>

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●和音君<o:p></o:p>

和音君も1歳11か月弱、間もなく2歳になります。食が細いのと好き嫌いが激しいのが気がかりですが、活発です。 最近は気に入らないと、泣き喚くようにもなりました。 第1次反抗期に入ったようです。今度の旅行でも、自分のバギーではなくて奏汰君のバギーに乗りたいと駄々をこねたり、朝食でバターをそのまま口に入れるのをとがめられて機嫌を損ねたり、お守りに手を焼きました。女の子しか育てた経験がないので、男の子は我が強い!と驚きました。この位じゃないと、将来、しっかりと自己主張できないのでしょうか。

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九十九島遊覧

2008-06-04 21:40:40 | 紀行

      遊覧船から

      

 

   ハウステンボス二日目、目覚めは快適で、毛布にくるまっていた。エアコンが効きすぎていたのだろうか。屋根裏部屋を模したベッドルームの小さな窓から外を眺めると薄曇りで雨の心配はなさそうだった。孫たちはもう起きているようで、階下はざわめいていた。

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 8時に朝食会場へ。例によってバイキングだ。食べきれないほどの量を皿に盛って、ぱくついていたら娘たちが、小声で何か囁いている。聞くと私も知っている有名人が姿を見せたのだ。(この話は、トピックスとして後日紹介します)

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 9時30分、満腹のお腹をかかえてクルーザーに乗り込み、ハウステンボス入場口へ。今日は妻の企画で西海国立公園、九十九島遊覧なのだ。ツアー客を乗せてバスは佐世保を通り抜け、西側のパールシーリゾートに到着した。 途中、軍港らしく自衛艦やSSKの30万トンドックなどを目の当たりにして、佐世保鎮守府の栄華をイメージしたりもした。

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佐世保沖の九十九島は20キロ四方のエリアに208もの小島が点在しており、その密度は日本一だという。西海橋のうず潮・急流と並んで、観光のメッカとなっているところだ。

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299トンの遊覧船「パールクイーン」に大勢の観光客と共に乗り込んで50分間のクルージングを楽しんだ。和音君は珍しいのか、ちょこまかと船内を歩き回るというか探検していて、親は追っかけるのに懸命だった。薄日のなか奇岩の島を眺めていると、しみじみと自然の不思議さを感じた。何千年、何万年の風雨の浸食で出来上がったとは思うけども、やはり天の摂理だと思いたい。

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九十九島観光が終わって、ハウステンボスに帰り着いたのが1時半。お腹もすいていないので昼食を抜きにして、4人+2人乗りの自転車を借りてハウステンボス内を巡ることにした。孫二人が中央に、私と次女が後列だ。孫たちも珍しい乗り物に乗って大喜びだった。

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ホテルヨーロッパの2泊目は運河に面したカフェテリアが素敵な1階で、娘たち二人とは隣りどうしだった。コーヒーを淹れてのんびりと船着き場を眺めていると、クルーザーが着くたびに我々に手を振る。異国情緒というものは、人が恋しくなるものなのだろうか。和音君も手すりにしゃがんで愛想を振りまいていた。あたかもマルセリーノのように絵になる風景だと思った。

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夕食はやはりユトレヒト地区にあるピザとパスタの店「ピノキオ」。 家族全員での還暦を祝う食事であったが、娘たちからメッ セージとプレゼントが渡されて、妻は感激したようだった。 私は、白ワインで喉を潤し、ピザとパスタをほおばった。<o:p></o:p>

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ホテルに戻って入浴後、私は寝てしまったが、女性陣は花火を見物し、ホテル内のカフェで生演奏を楽しんだらしい。孫たちももちろん一緒だったが、元気なものだ。

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ハウステンボス

2008-06-02 21:44:20 | 紀行

    

  運河とホテルヨーロッパ行きのクルーザー

 

   ハウステンボスには木曜の3時過ぎに入国した。木々の緑は太陽の光にきらめき、運河の緑がかった水は思わず水遊びができそうな暖かさに見え、運河脇の石畳もごみ一つ落ちてなかった。初夏の澄み切った空気の中に、オランダ風の豪壮なレンガ造りの建屋がどっしりとたたずんでおり、どこか安心感を漂わせていた。街全体が涼しげで、前日の雨で埃が流されたようだ。

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 今回はホテルヨーロッパに2日間、宿泊するが1日目は4人用のペンションタイプだった。部屋自体は4階にあるが、ルームが2階構造であり、回り階段が付いている。ベッドは階上・階下とも2つずつで、私達は階上、娘たちが階下となった。孫たちが階段から落ちたらいけないと思ったのだ。

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チェックインが済んだ後、バラ園や港を見物に出かけた。新婚旅行らしいカップルや韓国などの団体客が目についた。彼らもハウステンボスの雰囲気、景観を楽しんでいるようで、高揚した気持ちが私にも伝わってきた。 中には和音くんを見かけて、声を掛けてきた若い女性もいた。訊くと韓国の18歳で、修学旅行と言っていた(たどたどしい日本語を話しました)

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夕暮れのバラ園で遊んだあと娘たちと別れた。私達は娘たちの勧めで二人だけの時間を過ごすことにしていたのだ。場所はホテルヨーロッパ近くのユトレヒト地区にあるイタリア料理専門店「プッチーニ」だ。店内に入り、上品そうなウエイトレスさんに予約していた旨を告げてチケットを見せたところ・・・間違っていた。チケットではなく、工程表を持ってきていた。本物のチケットはホテルに置いてきてしまった。

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ミスに気が付いて取りに帰ろうとすると、ウエイトレスさんが、「後ほどでもいいです」と親切に言ってくれた。洗練された柔らかい口調で、お客様サービスが徹底されているようで、好感がもてたので、遠慮なく好意に甘えることにした。<o:p></o:p>

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店内は古代ローマをイメージした内装とのことだったが、落ち着いた雰囲気でほのかなキャンドルの灯りが、場を盛り上げていた。メインディッシュは、妻が魚、私は肉を選び、イタリアの白ワインハーフボトルを頼んだ。適度な照明とキャンドルの揺らめきの中で、私は妻への感謝の想いをしたためたメッセージレターを渡し、そして潤沢な時間を過ごした。

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ホテルに戻ったのが8時。孫たちは既に帰っていてルーム内を駆け回っていた。風呂に入って、ゆっくりしていると花火が上がった。疲れていたので見に行く元気もなく、窓から夜空を見上げただけだった。そのあと、すぐに眠ってしまってハウステンボス1日目が終わった。

 

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さぁ、ハウステンボスだ!

2008-06-01 20:01:03 | 紀行

 

木曜、朝6時。カーテンを開けて外を見ると、雨は降り止んだようだ。道路は濡れてはいるものの、山は谷間に霧がかかっているだけで、天気は間違いなく回復に向かっているようだ。今日から、2泊3日のハウステンボス。でだしから雨だったら気勢がそがれるが良かった、何とかなりそうだ。

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朝食もそこそこに、昨夜から用意していた荷物を車に詰め込んで、7時過ぎに出発した。入院している親父の衣類を病院に届けた後、娘たちのマンションに寄る。和音君は目覚めが良かったのか、ご機嫌さん、奏汰君は朝早く起きて、また眠りだす時間らしく、眠たそうだった。

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婿殿二人は仕事で休めないので留守番をお願いして、私たち夫婦と娘二人にそれぞれの息子と全部で6人の、妻の還暦祝い旅行なのだ。昨年の私の還暦祝いと同じパターンだ。

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九州縦貫道にETCの割引時間に間に合うように9時前に入り、一路西へ。天気は曇りだが雨の心配はなさそうだった。渋滞もなく、順調に走って11時には佐賀市を過ぎた。

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今回の主役である妻が、このままハウステンボスに行くのはもったいないから、どこか見物しよう、と言い出した。ビール工場などがあれば一番いいのだが、西九州にはないようだ。あれこれ相談した結果、昼時でもあるし、呼子に行くことにした。新鮮なイカの料理で有名な港町だ。

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佐賀から唐津を抜けて、呼子へ。12時前に無事に到着。 ところがイカ料理の「河太郎」は平日は12時開店だったので、20分くらい波止場を散策したりして時間をつぶした。

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<o:p>呼子の波止場</o:p>

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イカやタイなどの刺身でおいしいビールを飲んだあとは、運転を長女に任せて、私は後部シートで孫たちとウトウト。近頃は全行程を一人で運転することもなくなって、楽なものだ。景色を眺めていると、天気も急速に回復して、ハウステンボスに入ったころは暑い陽射しが照りつけていた。

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1年ぶりのハウステンボス、オランダの町並みはゆったりとして、日頃のばたばたした日常生活とは別天地だ。運河を結ぶクルーザーでホテルヨーロッパに入ったが、運河沿いにはバラが満開に咲き乱れており、幸せな景観だった。

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ハウステンボスでの3日間、奇跡的に雨に合うこともなく絶好の天気でした。皆様方の応援の賜物だと感謝しています。

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