デヴィッド・リンドレーとダンエレクトロ

2023-03-04 15:53:46 | Music Life
David Lindley 1982 08 28 Rockpalast


訃報は続く。デヴィッド・リンドレーが死去。ここ数か月間は体調がおもわしくなかったという。78歳だった。

デヴィッド・リンドレーは1944年、カリフォルニアで生まれた。彼の父親は音楽好きで、韓国民謡やインド音楽を含むレコードコレクションを持っているような人だったという。デヴィッドさんも音楽好きで、子どもの頃からフィドルやウクレレ、バンジョーを演奏するようになり、コンテストで何回も優勝するくらいの腕前だったそうだ。

60年代に入ると、フォークリバイバルの流れでクラブに足繫く通うようになったデヴィッドさんは、フラメンコやロシア民謡、インド音楽など様々なワールドミュージックにのめりこむようになる。そういう意味では、デヴィッド・リンドレーは20世紀初頭から民俗学者や音楽学者らによって行われるようになったフィールド・レコーディングによる世界各地での民謡の採集と資料の作成・整理といった活動の成果を自らの血肉としていったのだと言えるだろう。

デヴィッド・リンドレーが最初のバンド「カレイドスコープ」を結成したのは1967年。バンドが解散した後の1970年代は、ジャクソン・ブラウンのギタリストとして活動するとともに、セッション・ミュージシャンとして多方面で活躍、ライ・クーダーと並び称されるスライドギターの名手として脚光を浴びる。1981年には自身のバンド「エル・ラーヨ・エキス(スペイン語で「X線」の意)」を結成、4枚のアルバムを発表した。ロックやカントリー、ブルースにワールド・ミュージックといった様々な音楽要素が混然一体となったユニークなスタイルは高く評価された。

デヴィッドさんは、フィドル、ウクレレ、バンジョー、マンドリン、ギター、スチールギター、ウード、ブズーキ、ワイセンボーンなど数多の弦楽器を演奏するマルチ・インストゥルメンタリストであるが、とりわけ、テスコやダンエレクトロといった50年代、60年代にシルバートーンブランドで通信販売されていたギターを愛用することで界隈でも知られていた。それまでまともな楽器として扱われていなかったこれらのギターに独特な音色の魅力があることを世界に知らしめた彼の功績は大きい。



上の動画はドイツの音楽番組「ロックパラスト」での1982年のライヴであるが、デヴィッドさんは序盤(「She Took Off My Romeos,」「Bye Bye Love」)と中盤(「Twist and Shout」)でシルバートーンの1457、序盤(「Premature」)とアンコール(「Talk to the Lawyer」)でダンエレクトロ・デラックスを弾いている。十何年か前は、曲ごとに分割された動画が上がっていたのだが、今は全部一つなぎになった動画しかないのだった。
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