専門家でなければ、発言しては、ならない、という考え方も、全く、間違っていると思う。
自分の経験、知識から、他の、ことを、類推して、また、その分野の本を読んだりして、自分なりに、考察してみる、というは、とても、いいことだと思っている。
もちろん、類推、だから、それが、正鵠を射ている、か、どうかは、わからない。
しかし。ある専門のことは、その専門家だけが、発言する資格が、あって、専門外の人間は、言う資格などない、という風潮の世の中になってしまうと、人間は、何かの、一つの専門だけに、自分をはめ込み、それは、権威主義を強め、排他的になり、物事を考察しようとする人間の素晴らしい意志を、潰していき、非常に、つまらない世の中になってしまうからだ。
さらに、専門家なら、自分の専門のことの原理は、知悉しているかといえば、そうではないのである。
自分が出来る専門の原理が、わからない専門家など、いくらでもいる。スポーツ選手の場合、感覚的なことだけは、わかるが、原理は、わからない、という、選手などいくらでもいる。私だって、空手の運動は出来るが、時間の経過と、ともに、どこの筋肉が収縮し、どこの筋肉が弛緩している、か、とか、わからない、というか、知らないことは、いくらでもある。
ブルース・リーは、空手や、柔道など、日本の武道を、正式には、学んでいないし、身につけてもいない。
しかし、ブルース・リーは、空手や、柔道などを、よく見ており、人と話したり、本をよく読んだりして、その原理を知っているのである。
そして、自分は、身につけてはいない、空手や、柔道などを、他人に説明しているのである。
ブルース・リーは、大変な読書家で、家には、哲学や武道の本が、膨大にあり、それ以外でも、大学の図書館などで、相当な量の読書をする、大変な研究家であった。
さらに、自分の出来ること、というのは、惰性になってしまっていて、新鮮さがなくなってしまう。という面がある。なので、未知のことの方が、新鮮で、興味がわくから、何物にもとらわれない、自由な視点で、旺盛な好奇心で、調べる、ということも、頻繁にあることである。
灯台もと暗し、という諺もある。
以前、アメリカ人の女性が、日本の角力を見て、「セクシーなスポーツですね」と言ったのに、驚いた。
そう言われてみれば、確かに、セクシーなのかも、しれない。
日本の男の褌は、日本人は、セクシーとは思っていない。
これは、長い習慣で、男の褌は、それが、当たり前だと、思い込んでしまっているからだ。
外国でも、角力をする国はあるが、褌だけではなく、何か尻を隠す物をつける。
しかし、考えてみれば、相手の腰をとって、相手を倒す、格闘技というのは、人体の重心をつかんでいるので、非常に、基本的な、理にかなった格闘技と言える。
柔道では、相手の袖をつかむが、その方が、むしろ、変則的な格闘技とも言える。
人体には、相手をつかむ、とって、がない。
柔道より、角力の方が、「柔よく剛を制す」とか、きれいに、技が決まる。
日本ハム・ファイターズの中田翔にしても。
自分は、バッティングで、飛距離を出せるが。
後輩に対しては、どう指導していいのか、理論がわからないから、先輩の、稲葉篤紀の、言ったことを、そのまま、後輩に言っているだけ、と自ら、言っている。
専門家なんて、こんなものである。
自分の経験、知識から、他の、ことを、類推して、また、その分野の本を読んだりして、自分なりに、考察してみる、というは、とても、いいことだと思っている。
もちろん、類推、だから、それが、正鵠を射ている、か、どうかは、わからない。
しかし。ある専門のことは、その専門家だけが、発言する資格が、あって、専門外の人間は、言う資格などない、という風潮の世の中になってしまうと、人間は、何かの、一つの専門だけに、自分をはめ込み、それは、権威主義を強め、排他的になり、物事を考察しようとする人間の素晴らしい意志を、潰していき、非常に、つまらない世の中になってしまうからだ。
さらに、専門家なら、自分の専門のことの原理は、知悉しているかといえば、そうではないのである。
自分が出来る専門の原理が、わからない専門家など、いくらでもいる。スポーツ選手の場合、感覚的なことだけは、わかるが、原理は、わからない、という、選手などいくらでもいる。私だって、空手の運動は出来るが、時間の経過と、ともに、どこの筋肉が収縮し、どこの筋肉が弛緩している、か、とか、わからない、というか、知らないことは、いくらでもある。
ブルース・リーは、空手や、柔道など、日本の武道を、正式には、学んでいないし、身につけてもいない。
しかし、ブルース・リーは、空手や、柔道などを、よく見ており、人と話したり、本をよく読んだりして、その原理を知っているのである。
そして、自分は、身につけてはいない、空手や、柔道などを、他人に説明しているのである。
ブルース・リーは、大変な読書家で、家には、哲学や武道の本が、膨大にあり、それ以外でも、大学の図書館などで、相当な量の読書をする、大変な研究家であった。
さらに、自分の出来ること、というのは、惰性になってしまっていて、新鮮さがなくなってしまう。という面がある。なので、未知のことの方が、新鮮で、興味がわくから、何物にもとらわれない、自由な視点で、旺盛な好奇心で、調べる、ということも、頻繁にあることである。
灯台もと暗し、という諺もある。
以前、アメリカ人の女性が、日本の角力を見て、「セクシーなスポーツですね」と言ったのに、驚いた。
そう言われてみれば、確かに、セクシーなのかも、しれない。
日本の男の褌は、日本人は、セクシーとは思っていない。
これは、長い習慣で、男の褌は、それが、当たり前だと、思い込んでしまっているからだ。
外国でも、角力をする国はあるが、褌だけではなく、何か尻を隠す物をつける。
しかし、考えてみれば、相手の腰をとって、相手を倒す、格闘技というのは、人体の重心をつかんでいるので、非常に、基本的な、理にかなった格闘技と言える。
柔道では、相手の袖をつかむが、その方が、むしろ、変則的な格闘技とも言える。
人体には、相手をつかむ、とって、がない。
柔道より、角力の方が、「柔よく剛を制す」とか、きれいに、技が決まる。
日本ハム・ファイターズの中田翔にしても。
自分は、バッティングで、飛距離を出せるが。
後輩に対しては、どう指導していいのか、理論がわからないから、先輩の、稲葉篤紀の、言ったことを、そのまま、後輩に言っているだけ、と自ら、言っている。
専門家なんて、こんなものである。