小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

タラントの喩え

2015-12-12 21:58:07 | 考察文
もちろん、僕は無神論者で、いかなる宗教も信じていないが。

私は、イエス・キリストの山上の垂訓の「タラントの喩え」が好きである。

タラントとは、(=タレント。先天的能力)という意味である。

神は、人間に、(どういう気まぐれでか)、ある人には、10タラント与え、ある人には、5タラント与え、ある人には、3タラント与えた。

人間が、死ぬ時、神は、10タラント与えられて、その10タラントを、使い切った人間を祝福した。

5タラント与えられて、その5タラントを使い切った人間も祝福した。

3タラント与えられて、その3タラントを使い切った人間も祝福した。

しかし、10タラント与えられても、その10タラントを、使わず、怠けていた人間は、祝福せずに、怒った。

つまり、先天的能力の差に関わらず、努力して生きた人間は、神は、すべて祝福する、というのである。

しかし、先天的能力の差に関わらず、努力せず、怠けて人生を過ごした人間に対しては、神は、怒るのである。

私が与えられたタラントは、どのくらいかは、わからないが、私も、人間の価値とは、自分に与えられた能力を、どれほど、努力して、使い切ったかが、人間の価値であると思っている。

少なくとも、私は、ノーベル賞、や、世界レベルの偉業を達成するほどの、能力は、与えられていない、と思っている。

しかし、私は、それに、何の不服もない。

神は、私に、かなりの、タラントを与えてくれたとも、思っている。

人間は、自分に与えられた、タラントを、いかに、努力して、100%に近づけるまで、使い切ったか、ということが、大切だ、と思うのである。

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