小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

上祐史浩に罪は無い

2018-07-11 05:45:43 | 考察文
上祐史浩氏は、麻原彰晃や、幹部が、女性信者を殺すのを見ていた、のに、何もしなかったことが、わかった。

ネットでは、上祐史浩バッシングが、起きている。

しかし、上祐史浩には、罪はない。

これを説明しよう。

まず、その記事。

「新たに「麻原彰晃」の女性信者殺害事件が発覚 隠し続けていた「上祐史浩」認める」

「麻原彰晃(本名・松本智津夫)ら7名に死刑が執行されるも、決着がつかないオウムの“罪”は、まだあった。麻原はじめ幹部による女性信者殺害事件。元幹部・上祐史浩氏もその場に居ながら、今日まで口をつぐんできたのである。

その隠された殺人事件についての噂が広がったのは、昨年の秋頃のこと。新実智光死刑囚が、ある余罪について告白していたという。

「教団の初期、ある女性信者が麻原教祖に首を絞められて殺されていた――というもの。これまで全く表に出ていない事件です」

と語るのは、関係者。

新実死刑囚の証言によれば、被害者は当時27歳の女性信者Yさん。金銭トラブルで麻原の部屋に呼び出され「ポア」された、自分と中川智正が手足を押さえ麻原が手を下した。部屋には故・村井秀夫、女性幹部、上祐氏もいた……という内容だ。

その上祐氏に話を聞こうと試みるも、当初は“調べてみます”などと誤魔化すばかり。ようやく口を開き、女性信者殺害の現場に居合わせたと認めた。そのうえで、“新実が取り押さえ、中川が注射器を用いて殺害した”と、新実証言とはまた異なる説明をする。

「中川は彼女の左腕に注射した。しばらく後、中川はYさんの胸に耳を当て、“心臓が止まった”と言いました。麻原はその間、ソファーにずっと座っていました」(上祐氏)

今日まで恐怖と不安で言えなかった、と上祐氏は言い訳する。時効により事件化することはないが、その罪は重い。7月11日発売の週刊新潮では、被害女性の素顔を明かすとともに、上祐氏の弁解を詳しく掲載している。」

「週刊新潮」2018年7月19日号 掲載

(「デイリー新潮」7/10(火) 11:30配信)



つまり、上祐史浩氏は、麻原彰晃が殺人をするのを見ていた、ということである。

しかし、これだけでは、罪にはならない。



以前の、押尾学事件を思い出して欲しい。

押尾学は、ホステスの田中さんに、セックスの前に、セックスの快感を高めるために、合成麻薬MDSAを飲ませた。

それで、田中さんは、セックス中に、危篤になり、死んだ。

ここで、保護責任者遺棄致死、という、法律が適応される可能性が出てきたのである。

普通、保護責任者遺棄致死というのは、親が自分の、幼い子供の、監督や保護義務を怠って、死なせた時に、問題になる法律である。

親には、幼い自分の子供の、監督、保護義務があるからである。

押尾学氏の場合は、押尾学氏の意志で、田中さんに、合成麻薬MDSAを飲ませたから、保護責任者となるのである。

田中さんが、自分の意志で、合成麻薬MDSAを飲んだのなら、押尾学氏は、保護責任者とはならない。

保護責任者遺棄致死、という罪は、感覚的には、違和感を感じる。

しかし、法律が、そうなのだから、仕方ない。



つまり。

わかりやすく言えば。

ある人、A、が、歩いていて、川で、おぼれていて、「助けてー」、と、叫んでいる子供、B、を見たとする。

この時、A氏は、何もしなくても、罪にはならない、のである。

感情的、人情的、に、考えれば、違和感を感じることだが。

携帯電話を持っているなら、警察なり、消防なりに、電話したり、あるいは、大声で、「だれかー。来てくれー」、と、叫ぶ、なり、してもよさそうなもだが。

携帯電話を持っているのに、警察、や、消防、に連絡しなくても、罪にはならないのである。

罪というのは、「自分が犯行を行った」、ということに対して、だけ、発生するものであり、「人助けをしなかった」、とか、「他人が行った犯行を、止めなかった」、というのは、罪には、ならない、のである。

つまり、どんな凶悪な犯罪を見ても、自分が関与していないのなら、「止めなかったことに対する罪」、というのは、ないのである。

感情的に考えると、違和感を感じるが、法律が、そうなのだから、仕方がない。

さらには、様々なケースを考えてみると、この法律は、あながち、間違い、とは、言えず妥当性がある。

たとえば、(いじめは犯罪じゃないけど)、いじめ、を、見て、いじめを、止めなかった生徒に罪があるとしてしまうと、この世の中は、(数100万人、か、数1000万人以上の)犯罪者だらけになってしまう。

ヒトラーがユダヤ人を迫害し、この世から抹殺するのを、当時の、ドイツ人の、90%以上は、止めるどころか、良いことだと思って見ていた。

彼らに、罪があるとすると、ドイツ人の90%以上を犯罪者として罰しなければならないことになる。

(それどころか、ドイツ国民は、ヒトラーを妄信し、ユダヤ人に石を投げたり、ユダヤ人の家に石を投げたりした。これは、完全な、犯罪、「傷害罪」、「器物損壊罪」、である)

「人は「発言する」ことにのみならず、「発言しない」ということにも責任を持たなければならない。」

とは、キング牧師の発言だが、これは、確かに、崇高な格言だが、これは、道徳のことであって、法律のことではない。



だから、上祐史浩氏が、女性信者の、手や足を押さえていた(犯行に協力していた)、というのなら、上祐史浩氏には、殺人罪が、発生するが、上祐史浩氏は、見ていただけ、なのだから、上祐史浩氏には、罪はない。

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