厚生省も精神保健指定医のケースレポートの不正は知っていたのである。
精神保健指定医の、ケースレポートの条件を、国が、変なふうに、最初に、決めてしまったのが、間違いなのである。
なので、厚生省も、ケースレポートの不正が、行われていることは、うすうす、どころか、十分、知っていたのである。
ただ、去年の四月の、聖マリアンナの、不正は、ひどすぎたので、これを、見逃すのは、さすがに、出来ないので、バレたのである。
また、相模原の殺傷事件も、それに、追い打ちをかけた。
国は、間違ったことが、行われていると知っていても、なまじかのことでは、動こうとはしないのである。
それは、官僚が、怠け者ばかりだからである。
働きたくないからである。
それだけでなく、国は、何事においても、後手後手なのである。
何か、大きな事件が起こって、やっと、重たい腰をあげる、というのが、日本の官僚政治なのである。
☆
まあ、僕としては、ケースレポートの不正は、ある、どうしても、やむを得ない場合は、一症例くらい、不正を認めてもいいと、思っている。
それは、どういう時か、というと。
日本は、何事も、都市と地方の格差が大き過ぎる。
みな、不便な、地方には、行きたがらない。
しかし、精神医療は、地方でも、必要なのである。のは、言うまでもない。
僻地の精神医療をするためには、指定医の資格が、どうしても、必要なのである。
たとえば、東日本大震災とかで、東北の精神医療が、十分でない、場合、「何とか、東北の人の役に立ちたい」、と、崇高な志を持っている医師(自分の利益のためではなく、他人のことを心配する、偉い人)になら、ケースレポートの、一症例くらい、不正をしても、いいと思っている。
自分の利益追及のためではなく、他人のことを心配する、偉い人なのだから。
まあ。例えれば。かけがえのない自分の娘が、病気で危篤と、知らされたら、一刻も早く、急いで病院に行くために、車で、スピードオーバーも許される、と僕は思う。
それと、同じようなことである。
☆
しかし。聖マリアンナ、とか、今回、不正が見つかった、89人、の指定医は、てめえが、楽して、精神保健指定医の資格を取りたい、という、己の私利私欲のためであり、怠けきったクズ医者ばかりであり、あんな連中は、医者の風上にも置けない、存在である。
指定医のケースレポートの不正は、厚生省が、調べようと思えば、簡単に調べられるのである。
簡単に、バレる不正を堂々とする、頭の悪さにあきれるばかりである。
聖マリアンナのクズ医者どもは、頭も悪けりゃ、怠慢で、性格も悪い。
こういうクズ医者どもは、処置なしである。
☆
ケースレポートや指定医の問題に関しては。
一言でいって、8症例の、ケースレポートの提出など、不要なのである。
3年間の精神病院での、常勤の経験があれば、それで指定医を認めて、十分なのである。
たとえば。
ある医師が、内科医(内科でも、眼科でも、耳鼻科でも、何でもいい)として、病院に常勤で勤務したとする。
すると、病院としては、雇った医師には、高い給料を払うのだから、医師には、働いてもらわねばならないのである。
働く、ということは、仕事をする、ということである。
働かなかったら、病院としては、契約不履行だから、医師は、病院に解雇されてしまう。
なので、勤務した、ということは、働いた、ということである。
そして、働いているうちに、何百症例もの、精神科の患者の、治療をしているから、精神科医療の知識は、身についているのである。
これは、結果論だが、病院は、給料と、同時に、精神科医の経験、能力というものも、勤務医に与えているのである。
もっとも、初めて、精神科で働く医師にはベテランの医師が、最初のうちは、精神医療の、やり方、を教えるが。
なので、3年の、精神科の勤務経験があれば、もう、十分なのである。
これは、あらゆる仕事でいえる。
コンビニ店員でも、牛丼屋でも、ウェイトレスでも、雇用の契約を結んで、働く、ということは、被雇用者は、労働を、雇用者に提供する、対価として、給料をもらうが、同時に、その仕事の、スキルも、身につく、というか、雇用者から、もらえるのである。
全く、コンビニ店員の仕事をしていない人に、いきなり、働け、と言っても、無理だが、1週間くらいの、研修をした後では、もう、コンビニ店員のスキルも、身についているのである。
医師の仕事も、それと同じなのである。
スポーツ教室とか、ピアノとか、そういう趣味とか、習い事では、そうは、いかない。
スポーツだったら、運動神経とか、体力とか、本人のやる気、とかが、なければ、何年、やっても、上手くならない、ということも、起こりうる。
労働の、ギブ&テーク、とは違うのである。
ある組織(スクール)は、生徒が上達しなくても、(スキルが身につかなくても)、解雇する、ということはない。
組織の会員(生徒)は、上達しなくても、(スキルが身につかなくても)、スクールに、居続けられる。
だから、そういう、趣味や、習い事では、スキルが身についているか、どうかは、チェックする必要はある。
しかし、仕事として、働いた人間には、スキルが身についている、か、どうか、テストする必要など、全くないのである。
スキルなど、身についているのに、決まっているのである。
精神保健指定医の、ケースレポートの条件を、国が、変なふうに、最初に、決めてしまったのが、間違いなのである。
なので、厚生省も、ケースレポートの不正が、行われていることは、うすうす、どころか、十分、知っていたのである。
ただ、去年の四月の、聖マリアンナの、不正は、ひどすぎたので、これを、見逃すのは、さすがに、出来ないので、バレたのである。
また、相模原の殺傷事件も、それに、追い打ちをかけた。
国は、間違ったことが、行われていると知っていても、なまじかのことでは、動こうとはしないのである。
それは、官僚が、怠け者ばかりだからである。
働きたくないからである。
それだけでなく、国は、何事においても、後手後手なのである。
何か、大きな事件が起こって、やっと、重たい腰をあげる、というのが、日本の官僚政治なのである。
☆
まあ、僕としては、ケースレポートの不正は、ある、どうしても、やむを得ない場合は、一症例くらい、不正を認めてもいいと、思っている。
それは、どういう時か、というと。
日本は、何事も、都市と地方の格差が大き過ぎる。
みな、不便な、地方には、行きたがらない。
しかし、精神医療は、地方でも、必要なのである。のは、言うまでもない。
僻地の精神医療をするためには、指定医の資格が、どうしても、必要なのである。
たとえば、東日本大震災とかで、東北の精神医療が、十分でない、場合、「何とか、東北の人の役に立ちたい」、と、崇高な志を持っている医師(自分の利益のためではなく、他人のことを心配する、偉い人)になら、ケースレポートの、一症例くらい、不正をしても、いいと思っている。
自分の利益追及のためではなく、他人のことを心配する、偉い人なのだから。
まあ。例えれば。かけがえのない自分の娘が、病気で危篤と、知らされたら、一刻も早く、急いで病院に行くために、車で、スピードオーバーも許される、と僕は思う。
それと、同じようなことである。
☆
しかし。聖マリアンナ、とか、今回、不正が見つかった、89人、の指定医は、てめえが、楽して、精神保健指定医の資格を取りたい、という、己の私利私欲のためであり、怠けきったクズ医者ばかりであり、あんな連中は、医者の風上にも置けない、存在である。
指定医のケースレポートの不正は、厚生省が、調べようと思えば、簡単に調べられるのである。
簡単に、バレる不正を堂々とする、頭の悪さにあきれるばかりである。
聖マリアンナのクズ医者どもは、頭も悪けりゃ、怠慢で、性格も悪い。
こういうクズ医者どもは、処置なしである。
☆
ケースレポートや指定医の問題に関しては。
一言でいって、8症例の、ケースレポートの提出など、不要なのである。
3年間の精神病院での、常勤の経験があれば、それで指定医を認めて、十分なのである。
たとえば。
ある医師が、内科医(内科でも、眼科でも、耳鼻科でも、何でもいい)として、病院に常勤で勤務したとする。
すると、病院としては、雇った医師には、高い給料を払うのだから、医師には、働いてもらわねばならないのである。
働く、ということは、仕事をする、ということである。
働かなかったら、病院としては、契約不履行だから、医師は、病院に解雇されてしまう。
なので、勤務した、ということは、働いた、ということである。
そして、働いているうちに、何百症例もの、精神科の患者の、治療をしているから、精神科医療の知識は、身についているのである。
これは、結果論だが、病院は、給料と、同時に、精神科医の経験、能力というものも、勤務医に与えているのである。
もっとも、初めて、精神科で働く医師にはベテランの医師が、最初のうちは、精神医療の、やり方、を教えるが。
なので、3年の、精神科の勤務経験があれば、もう、十分なのである。
これは、あらゆる仕事でいえる。
コンビニ店員でも、牛丼屋でも、ウェイトレスでも、雇用の契約を結んで、働く、ということは、被雇用者は、労働を、雇用者に提供する、対価として、給料をもらうが、同時に、その仕事の、スキルも、身につく、というか、雇用者から、もらえるのである。
全く、コンビニ店員の仕事をしていない人に、いきなり、働け、と言っても、無理だが、1週間くらいの、研修をした後では、もう、コンビニ店員のスキルも、身についているのである。
医師の仕事も、それと同じなのである。
スポーツ教室とか、ピアノとか、そういう趣味とか、習い事では、そうは、いかない。
スポーツだったら、運動神経とか、体力とか、本人のやる気、とかが、なければ、何年、やっても、上手くならない、ということも、起こりうる。
労働の、ギブ&テーク、とは違うのである。
ある組織(スクール)は、生徒が上達しなくても、(スキルが身につかなくても)、解雇する、ということはない。
組織の会員(生徒)は、上達しなくても、(スキルが身につかなくても)、スクールに、居続けられる。
だから、そういう、趣味や、習い事では、スキルが身についているか、どうかは、チェックする必要はある。
しかし、仕事として、働いた人間には、スキルが身についている、か、どうか、テストする必要など、全くないのである。
スキルなど、身についているのに、決まっているのである。