小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

もしあの時・・・僕の人生は変わっていたかもしれない

2016-11-15 00:34:48 | 考察文
僕は、小学校の2年の初夏から、3年の終わりまで、親と離れて、神奈川県の小児喘息の施設である、国立小児病院の二ノ宮分院で過ごした。

これは今はなくなった。

僕が勉強に、打ち込むようになったのは、小学校5年の時からである。(これも、喘息の施設である静岡県の伊東市にある川奈臨海学校である)

小学校2年の時は、女の先生が、担任教師となった。

この時は、僕は、勉強に打ち込む気はなかったので、(それでも真面目なので、勉強は、ほどほどにやっていた)成績は、「普通」だった。

この女の先生は、自分が、音楽が専門なので、先生が、オルガンを弾いて、やたらめったら、毎日、歌を歌わされた。

僕は、歌を歌うのは、好きじゃないので、全然、つまらなかった。

ある時、この先生は、国語の授業で、教科書にある「力太郎(だったか?)」、の、続き話しを、書いてみなさい、という、課題を出した。(授業中に)

僕は、書き出した。

書いているうちに、面白くなって、(心の中で)笑いながら、ユーモラスに書いていった。

そして、授業が終わるまでに、続き話し、を、書ききって完成させて提出した。

とても、満足のいくものだった。

僕は、それ以来、次の国語の授業が、楽しみになった。

僕の書いた、「力太郎(だったか?)」、の、続き話し、に対して、先生が、どんな感想を書いてくれるかが、待ち遠しくて、ワクワクしていた。

別に、褒めてもらわなくても、先生が、どんな感想を書いてくれるのかが、楽しみだった。

しかし、次の国語の授業に、なっても、先生は、作文を生徒に渡さなかった。

僕は、先生は、忙しくて、間に合わず、次の国語の授業の時に、作文の感想を書いたのを、渡してくれるのだろうと、思った。

しかし、いつまで経っても、作文は、返却されなかった。

結局、最後まで、作文の感想は、渡されなかった。

僕は、ガッカリした。

先生は、自分の専門である、音楽にしか、興味がなく、それ以外のことには、興味を持っていなかった、のである。

もしも、あの時、先生が、作文に対する感想を、書いてくれて、作文を生徒に、渡してくれれば、僕は、創作の喜びに目覚め、小学校から、小説を書くようになったかも、しれないと、強く思っている。

そうしたら、僕は、今頃、とっくにプロの小説家になっていたかも、しれない。

いや。かなりの確率で、そうなっただろう。

こういう、自分の好きな、ことだけを、生徒に押しつけることしか能のない先生、というのは、子供の持っている、無限の可能性を、潰すだけの、無能な先生である。

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