久しぶりに、新宿(都心)へ行った。
紀伊国屋に医学書を買いに。
昔は、電車で、都心に、結構、行っていたが、最近は、生活のパターンが、昔と変わって、ほとんど、都心に行くことがなくなっていた。
ネットショッピングでは、中身がわからないから、中身を確かめるためにも、行って、買う必要がある。
医学書のコーナーでは、一番、目立つ所に、一番に、ドン、と、イヤーノートが置いてあるじゃないか。
やはり、医師国家試験に落ちてる人は、イヤーノートを使ってないのだと、絶対、思う。
(イヤーノートは、一見すると、最悪に、つまらない参考書に見えるが、私も、初めはそうだった。しかし、これを使わないで勉強する人は、絶対、医師国家試験に通れない。私が保障する。ゴリ押しが、むごい、などと、ネットで書かれたが、ゴリを押す。旧帝国大学医学部卒でも、浪人の合格率は、極めて低い。イヤーノートを使ってないのと違うか?また、国家試験の参考書は、毎年、わかりやす、使いやすい、参考書が出るから、そっちの方に目が行ってしまうのでは、なかろうか?)
昔は、運動の習慣が、なかったが、今では、運動が習慣になっているので、さほど、疲れない。
昔は、広尾の、中央図書館に行っていたことも、あったが。そして、中央図書館の近くのテニスコートで、テニスをしている人を見ると、とても、テニスをやる体力などない、と思っていた。(今は、違う)
今は、小説、文学書は、あまり、売れていない。
私は、芥川賞受賞者とか、膨大な著作をしている作家に、それほど、どころか、ほとんど、嫉妬しない。
私は、自分が書いている時だけが、幸福で、逆に、書けなくなることだけを、一番、おそれる。(というか、うつ病になる)
そもそも、芸術は、個性の世界だから、私の書いた小説は、二つと、この世にない。
今は、いくつも、書きかけの作品があるので、(今は、寒いので、筆が進まない)そう、困ってもいない。
まあ、文学賞に投稿すれば、認められる作品もあるかもしれないが、一年とか、半年とか、待たされて、結局、最終選考で落とされるのは、バカバカしいので、そんなことは、しない。
そんなこと、考えるよりも、作品を書きたいだけである。
「そもそも、作家になりたい、と思っている人は、ニセモノが多い。本物は、作品を書きたいと思っている。そういう人は、書くな、と言われても、書いてしまう」
という、ことが、書かれていた。
私にとっては。
小説をいくら読んでも、自分が、書けるようには、ならない。
小説を書けるのは。
一に、体調(肉体的、精神的健康。観念奔放も私には起こる)。小さなことでも、(一瞬、見た光景でも、構わない)経験すること。(これが、インスピレーションになることが多い)。旅行をすると、確実に、旅行記(小説ではないが)、が書ける。旅行は、マンネリ化した、日常と違う体験だから、記憶に焼きつく。のである。旅行も、体験の一つである。
紀伊国屋に医学書を買いに。
昔は、電車で、都心に、結構、行っていたが、最近は、生活のパターンが、昔と変わって、ほとんど、都心に行くことがなくなっていた。
ネットショッピングでは、中身がわからないから、中身を確かめるためにも、行って、買う必要がある。
医学書のコーナーでは、一番、目立つ所に、一番に、ドン、と、イヤーノートが置いてあるじゃないか。
やはり、医師国家試験に落ちてる人は、イヤーノートを使ってないのだと、絶対、思う。
(イヤーノートは、一見すると、最悪に、つまらない参考書に見えるが、私も、初めはそうだった。しかし、これを使わないで勉強する人は、絶対、医師国家試験に通れない。私が保障する。ゴリ押しが、むごい、などと、ネットで書かれたが、ゴリを押す。旧帝国大学医学部卒でも、浪人の合格率は、極めて低い。イヤーノートを使ってないのと違うか?また、国家試験の参考書は、毎年、わかりやす、使いやすい、参考書が出るから、そっちの方に目が行ってしまうのでは、なかろうか?)
昔は、運動の習慣が、なかったが、今では、運動が習慣になっているので、さほど、疲れない。
昔は、広尾の、中央図書館に行っていたことも、あったが。そして、中央図書館の近くのテニスコートで、テニスをしている人を見ると、とても、テニスをやる体力などない、と思っていた。(今は、違う)
今は、小説、文学書は、あまり、売れていない。
私は、芥川賞受賞者とか、膨大な著作をしている作家に、それほど、どころか、ほとんど、嫉妬しない。
私は、自分が書いている時だけが、幸福で、逆に、書けなくなることだけを、一番、おそれる。(というか、うつ病になる)
そもそも、芸術は、個性の世界だから、私の書いた小説は、二つと、この世にない。
今は、いくつも、書きかけの作品があるので、(今は、寒いので、筆が進まない)そう、困ってもいない。
まあ、文学賞に投稿すれば、認められる作品もあるかもしれないが、一年とか、半年とか、待たされて、結局、最終選考で落とされるのは、バカバカしいので、そんなことは、しない。
そんなこと、考えるよりも、作品を書きたいだけである。
「そもそも、作家になりたい、と思っている人は、ニセモノが多い。本物は、作品を書きたいと思っている。そういう人は、書くな、と言われても、書いてしまう」
という、ことが、書かれていた。
私にとっては。
小説をいくら読んでも、自分が、書けるようには、ならない。
小説を書けるのは。
一に、体調(肉体的、精神的健康。観念奔放も私には起こる)。小さなことでも、(一瞬、見た光景でも、構わない)経験すること。(これが、インスピレーションになることが多い)。旅行をすると、確実に、旅行記(小説ではないが)、が書ける。旅行は、マンネリ化した、日常と違う体験だから、記憶に焼きつく。のである。旅行も、体験の一つである。