不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

オウム真理教2

2015-03-21 18:09:55 | Weblog
昨日は、オウムがサリンを撒いた日の、20年目、ということで、テレビでも、新聞でも、オウムの特別番組をやっていた。

私が研修医の時、最初の、おおらかな先生は、オウムの、林郁夫の話になった時、「あんなヤツ死刑で当然だよねー」と、言っていた。

なんか精神科医らしくないなー、と思った。

精神科医なら、難しい顔をして、「あの時の彼の深層心理は・・・」とか、「マインドコントロールとはね・・・」とか、難しい、精神の理論を言う方が、精神科医らしい、と思うのだが。

なので、私が思う所を少し書こう。

麻原は、つかまる前に、「天皇は、凡夫・・・だけどね、そう言ったら、麻原、死刑だからね」と言っていたが、これは、おかしい。何を勘違いしているのか。別に、死刑なんかになりはしない。戦前なら、特高警察につかまって、拷問されるが、今は、戦後である。

作家での住井すゑ、さんは、堂々と「天皇は悪人」と言っている。

私は、テレビで、オウムがサリンを撒いた、ということは、サリン事件の、一か月後くらいまでは、信じられなかった。サリンを撒いて、オウムに何の得があるのか、それが、わからなかったからだ。立花隆のオウムの「ポア」という概念を聞いて、初めて、ああ、なるほど、と、わかった。しかし、原始仏教では、シヴァ神は破壊を司る神である。旧約聖書でも、ノアの箱舟、というものがあり、仏教でも、仏は時として、阿修羅として現れる、とも、仏教聖典に書いてある。

私は、オウムの事件は、バブルだとか、現代という時代、とかとは、全く関係ない、と思っている。

麻原のような、特殊な人間は、数十年に、一人は、出てくるものだ。

麻原の、こわい所は、単なる、業が深い性格な、だけではなく、本当に、宗教的な精神をもっている所だ。だから、アレフが続いているのだ。

ちなみに、上祐の「ひかりの輪」は、麻原とは、全く関係なくなった。だから、「ひかりの輪」を、警察は、危険宗教と見なすべきではない、と思っている。監視する権利もない、と思う。

アレフをつぶすには、というか、アレフが潰れるには、麻原が、自分の口で、「私が間違っていた。私は、選挙に負けてから、国家に対して被害妄想を持ってしまった」、と自分の口で、言えば、アレフは、潰れるだろう。

しかし、それも、絶対、とは、言えない。

仏教においては。釈迦が、40歳の時、言ったことが真実である、とか、50歳の時、言ったことが真実である、とか、60歳の時、言ったことが真実である、とか、そういう考え方があるからだ。

釈迦は一人だが、仏教には、いろんな宗派があって、各宗派が対立している。のは、言うまでもない。

これは、難しいことでも何でもなく、日常的によくあることで、

人の心というものは、変わる(諸法無我)ものであり、まあ、大体、権力を手にすると、人は、わがままな性格になっていくが、そんな人でも、権力を手にする前の、若い時には、優しい、思いやりのある人だった、ということは、いくらでもあることである。

麻原も、教団が大きくなって、権力を手にしてからは、どんどん、わがままになっていったが、オウムの規模が小さく、オウム神仙の会、の頃、あたりの、麻原の性格や、言うことは、信者に対して、優しく、思いやり、があったのでは、なかろうか。

麻原だって、ヨガ教室を開いた時点では、サリンを撒こうとは、絶対、思っていたはずがない。

また。東大受験して、落ちたことを、彼の学力が低かった、などと考えるのは、全く、間違っている。

彼の東大受験は、ひやかし受験ではない、だろう。代々木ゼミナールで一生懸命、受験勉強したのだろう。

そして、模擬試験で、合格の見込みがある、という、判定が出たから、東大を受験したのだろう。そして、受験は、水物だから、合格する実力があっても、落ちることは、いくらでもある、のは、みなの知る所である。

ともかく麻原は、偉くなりたい、という上昇志向の、理想が高い人間だった。目が不自由なのに、柔道も熱心に練習して黒帯までとった。

つまり、まとめると。麻原は、理想の高い、上昇志向の人間だった。そして、仏教や、原始仏教や、キリスト教、などの宗教を一心に独学で学んだ。そしてヨガ道場を開いた。そして、ヨガを受けにくる生徒の悩みに、誠実に答えた。そのため、ヨガの生徒が、どんどん増えていった。そして、ついに、オウム真理教という宗教団体にまで、膨れ上がった。しかし権力を持ったことで、傲慢な性格になっていった。また、自分を慕う信者が、どんどん増えていくので、自分に自信を持ち出して、それが高じて誇大妄想になってしまった。しかし、選挙で負けた。それで、国家が大物である自分を敵視して、潰そうとたくらんでいる、という被害妄想を持ち出した。そしてサリンを撒いた。

と私は推測する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創作雑感

2015-03-21 17:33:47 | Weblog
小説を書いていて、いつも、思うことだが、もっと書き続けようと、思えば、書き続けられるのだが、どうしても、次の作品に、熱が入っている時は、そっちの方を書きたいので、やむなく、きりのいい所で、終わりにしてしまう。それは、残念なことである。

「ダルビッシュの肘」も、書こうと思えば、もっと書き続けられるのだが、今、気分が乗っている作品を、いくつか書いているので、どうしても、そっちの方を書きたくなってしまう。そのうちの一作は、原稿用紙で100枚を越している。

私は、さわやか(でなくてもいいのだが)な、青春野球小説を(というか、も)書きたいのである。

しかし、なかなか、書けない。

それは、「魔球」を思いつけないからである。

一つの、「魔球」さえ、思いつければ、野球小説が書けそうな気がするのだが、どうしても、思いつけない。

梶原一騎は、「巨人の星」で、よく、大リーグボール、一号、二号、などの、「魔球」を思いついたものだ、と感心する。

現実的には、デタラメだが、漫画の中では、ちゃんと理論になっている。それで、その理論で、ストーリーを作っていっている。

読むのは、簡単だが、ああいう、魔球、を思いつくのは、「天才」でなければ、思いつけないような気がする。

なので、梶原一騎は、天才である。

今日、選抜高校野球が始まった。しかし、見ていない。

それより、今日、「打撃王」という、1942年の、野球映画を見た。

ルー・ゲーリックは、鉄人ルー・ゲーリックとして、ベーブルースに次ぐ、名選手という、ことだけは、知っていた。

そして、ちょっと、野球小説のヒント、が思いついた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする