昨日は、オウムがサリンを撒いた日の、20年目、ということで、テレビでも、新聞でも、オウムの特別番組をやっていた。
私が研修医の時、最初の、おおらかな先生は、オウムの、林郁夫の話になった時、「あんなヤツ死刑で当然だよねー」と、言っていた。
なんか精神科医らしくないなー、と思った。
精神科医なら、難しい顔をして、「あの時の彼の深層心理は・・・」とか、「マインドコントロールとはね・・・」とか、難しい、精神の理論を言う方が、精神科医らしい、と思うのだが。
なので、私が思う所を少し書こう。
麻原は、つかまる前に、「天皇は、凡夫・・・だけどね、そう言ったら、麻原、死刑だからね」と言っていたが、これは、おかしい。何を勘違いしているのか。別に、死刑なんかになりはしない。戦前なら、特高警察につかまって、拷問されるが、今は、戦後である。
作家での住井すゑ、さんは、堂々と「天皇は悪人」と言っている。
私は、テレビで、オウムがサリンを撒いた、ということは、サリン事件の、一か月後くらいまでは、信じられなかった。サリンを撒いて、オウムに何の得があるのか、それが、わからなかったからだ。立花隆のオウムの「ポア」という概念を聞いて、初めて、ああ、なるほど、と、わかった。しかし、原始仏教では、シヴァ神は破壊を司る神である。旧約聖書でも、ノアの箱舟、というものがあり、仏教でも、仏は時として、阿修羅として現れる、とも、仏教聖典に書いてある。
私は、オウムの事件は、バブルだとか、現代という時代、とかとは、全く関係ない、と思っている。
麻原のような、特殊な人間は、数十年に、一人は、出てくるものだ。
麻原の、こわい所は、単なる、業が深い性格な、だけではなく、本当に、宗教的な精神をもっている所だ。だから、アレフが続いているのだ。
ちなみに、上祐の「ひかりの輪」は、麻原とは、全く関係なくなった。だから、「ひかりの輪」を、警察は、危険宗教と見なすべきではない、と思っている。監視する権利もない、と思う。
アレフをつぶすには、というか、アレフが潰れるには、麻原が、自分の口で、「私が間違っていた。私は、選挙に負けてから、国家に対して被害妄想を持ってしまった」、と自分の口で、言えば、アレフは、潰れるだろう。
しかし、それも、絶対、とは、言えない。
仏教においては。釈迦が、40歳の時、言ったことが真実である、とか、50歳の時、言ったことが真実である、とか、60歳の時、言ったことが真実である、とか、そういう考え方があるからだ。
釈迦は一人だが、仏教には、いろんな宗派があって、各宗派が対立している。のは、言うまでもない。
これは、難しいことでも何でもなく、日常的によくあることで、
人の心というものは、変わる(諸法無我)ものであり、まあ、大体、権力を手にすると、人は、わがままな性格になっていくが、そんな人でも、権力を手にする前の、若い時には、優しい、思いやりのある人だった、ということは、いくらでもあることである。
麻原も、教団が大きくなって、権力を手にしてからは、どんどん、わがままになっていったが、オウムの規模が小さく、オウム神仙の会、の頃、あたりの、麻原の性格や、言うことは、信者に対して、優しく、思いやり、があったのでは、なかろうか。
麻原だって、ヨガ教室を開いた時点では、サリンを撒こうとは、絶対、思っていたはずがない。
また。東大受験して、落ちたことを、彼の学力が低かった、などと考えるのは、全く、間違っている。
彼の東大受験は、ひやかし受験ではない、だろう。代々木ゼミナールで一生懸命、受験勉強したのだろう。
そして、模擬試験で、合格の見込みがある、という、判定が出たから、東大を受験したのだろう。そして、受験は、水物だから、合格する実力があっても、落ちることは、いくらでもある、のは、みなの知る所である。
ともかく麻原は、偉くなりたい、という上昇志向の、理想が高い人間だった。目が不自由なのに、柔道も熱心に練習して黒帯までとった。
つまり、まとめると。麻原は、理想の高い、上昇志向の人間だった。そして、仏教や、原始仏教や、キリスト教、などの宗教を一心に独学で学んだ。そしてヨガ道場を開いた。そして、ヨガを受けにくる生徒の悩みに、誠実に答えた。そのため、ヨガの生徒が、どんどん増えていった。そして、ついに、オウム真理教という宗教団体にまで、膨れ上がった。しかし権力を持ったことで、傲慢な性格になっていった。また、自分を慕う信者が、どんどん増えていくので、自分に自信を持ち出して、それが高じて誇大妄想になってしまった。しかし、選挙で負けた。それで、国家が大物である自分を敵視して、潰そうとたくらんでいる、という被害妄想を持ち出した。そしてサリンを撒いた。
と私は推測する。
私が研修医の時、最初の、おおらかな先生は、オウムの、林郁夫の話になった時、「あんなヤツ死刑で当然だよねー」と、言っていた。
なんか精神科医らしくないなー、と思った。
精神科医なら、難しい顔をして、「あの時の彼の深層心理は・・・」とか、「マインドコントロールとはね・・・」とか、難しい、精神の理論を言う方が、精神科医らしい、と思うのだが。
なので、私が思う所を少し書こう。
麻原は、つかまる前に、「天皇は、凡夫・・・だけどね、そう言ったら、麻原、死刑だからね」と言っていたが、これは、おかしい。何を勘違いしているのか。別に、死刑なんかになりはしない。戦前なら、特高警察につかまって、拷問されるが、今は、戦後である。
作家での住井すゑ、さんは、堂々と「天皇は悪人」と言っている。
私は、テレビで、オウムがサリンを撒いた、ということは、サリン事件の、一か月後くらいまでは、信じられなかった。サリンを撒いて、オウムに何の得があるのか、それが、わからなかったからだ。立花隆のオウムの「ポア」という概念を聞いて、初めて、ああ、なるほど、と、わかった。しかし、原始仏教では、シヴァ神は破壊を司る神である。旧約聖書でも、ノアの箱舟、というものがあり、仏教でも、仏は時として、阿修羅として現れる、とも、仏教聖典に書いてある。
私は、オウムの事件は、バブルだとか、現代という時代、とかとは、全く関係ない、と思っている。
麻原のような、特殊な人間は、数十年に、一人は、出てくるものだ。
麻原の、こわい所は、単なる、業が深い性格な、だけではなく、本当に、宗教的な精神をもっている所だ。だから、アレフが続いているのだ。
ちなみに、上祐の「ひかりの輪」は、麻原とは、全く関係なくなった。だから、「ひかりの輪」を、警察は、危険宗教と見なすべきではない、と思っている。監視する権利もない、と思う。
アレフをつぶすには、というか、アレフが潰れるには、麻原が、自分の口で、「私が間違っていた。私は、選挙に負けてから、国家に対して被害妄想を持ってしまった」、と自分の口で、言えば、アレフは、潰れるだろう。
しかし、それも、絶対、とは、言えない。
仏教においては。釈迦が、40歳の時、言ったことが真実である、とか、50歳の時、言ったことが真実である、とか、60歳の時、言ったことが真実である、とか、そういう考え方があるからだ。
釈迦は一人だが、仏教には、いろんな宗派があって、各宗派が対立している。のは、言うまでもない。
これは、難しいことでも何でもなく、日常的によくあることで、
人の心というものは、変わる(諸法無我)ものであり、まあ、大体、権力を手にすると、人は、わがままな性格になっていくが、そんな人でも、権力を手にする前の、若い時には、優しい、思いやりのある人だった、ということは、いくらでもあることである。
麻原も、教団が大きくなって、権力を手にしてからは、どんどん、わがままになっていったが、オウムの規模が小さく、オウム神仙の会、の頃、あたりの、麻原の性格や、言うことは、信者に対して、優しく、思いやり、があったのでは、なかろうか。
麻原だって、ヨガ教室を開いた時点では、サリンを撒こうとは、絶対、思っていたはずがない。
また。東大受験して、落ちたことを、彼の学力が低かった、などと考えるのは、全く、間違っている。
彼の東大受験は、ひやかし受験ではない、だろう。代々木ゼミナールで一生懸命、受験勉強したのだろう。
そして、模擬試験で、合格の見込みがある、という、判定が出たから、東大を受験したのだろう。そして、受験は、水物だから、合格する実力があっても、落ちることは、いくらでもある、のは、みなの知る所である。
ともかく麻原は、偉くなりたい、という上昇志向の、理想が高い人間だった。目が不自由なのに、柔道も熱心に練習して黒帯までとった。
つまり、まとめると。麻原は、理想の高い、上昇志向の人間だった。そして、仏教や、原始仏教や、キリスト教、などの宗教を一心に独学で学んだ。そしてヨガ道場を開いた。そして、ヨガを受けにくる生徒の悩みに、誠実に答えた。そのため、ヨガの生徒が、どんどん増えていった。そして、ついに、オウム真理教という宗教団体にまで、膨れ上がった。しかし権力を持ったことで、傲慢な性格になっていった。また、自分を慕う信者が、どんどん増えていくので、自分に自信を持ち出して、それが高じて誇大妄想になってしまった。しかし、選挙で負けた。それで、国家が大物である自分を敵視して、潰そうとたくらんでいる、という被害妄想を持ち出した。そしてサリンを撒いた。
と私は推測する。