第二次世界大戦後から、現在までの69年間に、集団的自衛権があれば、救えたのに、という、そんな事件が一度でもあっただろうか。朝鮮や中国との外交的な問題は、大戦後からも、ずっとあった。国交さえ無かった時期も長い。ましてや、冷戦で、社会主義のソ連という、大きな仮想敵国もあった。
もちろん、今まで、なかったから、これからも無い、という保証は無い。
日本人は何か事故が起こると、政府に、徹底して、その責任追及をする。
しかし集団的自衛権に関しては、それは、あてはまらない。
現政府は、起こりうる事故の事前対策をし、人命を未然に守る、ようなことを言っているが。
もし、集団的自衛権を認めず、それゆえ、集団的自衛権を行使できずに、日本人の命が救えず、殺されるような事件(そんな事件は0.1%も起こらないと思うが)が仮に起こったとしても。その遺族は、「なぜ、集団的自衛権を、前もって、認めておかなかったんだ」と激怒して政府に抗議するとは、到底、思えない。日本人はそれほど結果論だけしか見ない恥知らずな国民ではない。
そして、集団的自衛権が行使されることによって、人命が救われるような、そんな事件が起こる可能性も、戦後69年間の過去をかえりみても、それは0.1%も無い。
つまり、集団的自衛権は、容認されるだけで、日本人の命を救うために、行使されるケースというのは、まず、ないのである。では、何のために使われるか。それは言うまでもない。
この世の中に、「絶対」ということは、(数学の真理の命題のようなもの以外)、全ての事において、あり得ない。どんなことでも、起こりうる可能性はあるのである。
しかし、そういう論理で行くと。たとえば、町を歩いている時、暴力団員やチンピラや暴漢や強盗や精神障害者に、襲われる可能性が無いとは、言えない。だから、身を守る用心のために、銃刀法には違反するが、銃やナイフを持っていても良い。ということになる。
世の中の、全ての法と秩序を破っても良い、ということになる。
もちろん、今まで、なかったから、これからも無い、という保証は無い。
日本人は何か事故が起こると、政府に、徹底して、その責任追及をする。
しかし集団的自衛権に関しては、それは、あてはまらない。
現政府は、起こりうる事故の事前対策をし、人命を未然に守る、ようなことを言っているが。
もし、集団的自衛権を認めず、それゆえ、集団的自衛権を行使できずに、日本人の命が救えず、殺されるような事件(そんな事件は0.1%も起こらないと思うが)が仮に起こったとしても。その遺族は、「なぜ、集団的自衛権を、前もって、認めておかなかったんだ」と激怒して政府に抗議するとは、到底、思えない。日本人はそれほど結果論だけしか見ない恥知らずな国民ではない。
そして、集団的自衛権が行使されることによって、人命が救われるような、そんな事件が起こる可能性も、戦後69年間の過去をかえりみても、それは0.1%も無い。
つまり、集団的自衛権は、容認されるだけで、日本人の命を救うために、行使されるケースというのは、まず、ないのである。では、何のために使われるか。それは言うまでもない。
この世の中に、「絶対」ということは、(数学の真理の命題のようなもの以外)、全ての事において、あり得ない。どんなことでも、起こりうる可能性はあるのである。
しかし、そういう論理で行くと。たとえば、町を歩いている時、暴力団員やチンピラや暴漢や強盗や精神障害者に、襲われる可能性が無いとは、言えない。だから、身を守る用心のために、銃刀法には違反するが、銃やナイフを持っていても良い。ということになる。
世の中の、全ての法と秩序を破っても良い、ということになる。