小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

病気は医者ではなく患者が治すべきものである

2013-12-20 20:40:37 | 医学・病気
病気は医者ではなく患者が治すべきものである。と私は確信している。

もちろん人が病気になったら患者は病院へ行く。医療はサービス業であり、患者が支払う金の対価として、医者は病気の治療というサービスを患者に提供する。

しかしである。医者の治療というのは、医者にとっては事務的な仕事であり、医者が、やるべき範囲の、お決まりの治療は、やるが、それで、おしまい、である。それ以上の親切もなければ、おせっかいもない。

サービス業という点で。人がラーメン屋に行ったら、ラーメン屋の親爺はラーメンを作って出し、客は、ラーメンの代金を払う。それで、おしまい、である。医者と患者の関係も、それと同じである。

しかし病院で治療を受けても、病気が改善しない例は、いくらでもある。

ある人が病気になったとする。その人は病院に行く。病院の医者は、その病気の薬を処方し、生活のアドバイスをする。それで、おわり、である。

しかし、医者の言うことを守っていれば、病気は、良くなってくれるという保障など全くない。医者の言うことだけ守っていれば、病気は治ると思っている人は、他力本願な人である。そういう人の中には、何年も、病気が良くならず、苦しみ続ける人は、いくらでもいる。

今は、ネットで、いくらでも情報は調べられる。運動療法にしても、食事療法にしても、生活にしても、病気が、良くなるかどうかは、本人が、どれだけ自分の病気を治そうという自覚があるか、そして、実際に、行動するか、にかかっているのである。ネットや本で調べれば、医者が教えてくれないが、病気に有効な事は、たくさんある。それを医者が教えてくれないのは、必ずしも不親切からではない。医者も、患者が、どのくらい、自分の病気について知っているのか、わからないからである。それに、一つの病気を改善させる事柄など、無限に近いくらいあり、それらを全て、教えることなど、不可能に近い。数学の知識ゼロの人に微分積分を、わかるまで丁寧に教えるようなものである。仮に、おそろしいほど親切な医者がいて、病気にいい事を教えようとしても、患者が病気に関心をもっていなければ、話にならない。馬耳東風であり、馬の耳に念仏、である。

病気が治るかどうかは、患者本人の自覚と行動が、ほとんど全てである。病気を本気で治したいと思っている患者は、自分の病気の本をたくさん買い、ネットで調べ、その病気の原理を理解しようとし、その病気の名医を探し、その病気に効果のある運動を調べ、その病気に効果のある、漢方薬、民間療法、音楽療法、自彊術、ヨガ、真向法、催眠療法、自律訓練法、温泉、マッサージ、転地療法、食事療法、集団療法、趣味、ストレス解消法、などを実行して試し、効果を調べようとするだろう。

こうなると患者が、自分の病気に関しては、医者以上のエキスパートとなる。ことも起こりうる。

たとえ、助からない進行ガンにかかったとしても、哲学や思想、宗教、などで病気の苦しみ、不安を克服し、心の平安を得ることが出来れば、不治の病というものは、存在しなくなる。また、ライフワークのある人は、死ぬまでに、ライフワークの完成に努力するだろう。

徳洲会の医師だった井村和清さんも、死ぬ前に「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」を書いて出版した。彼の名は、Wikipediaに載り、彼の本は、ミリオンセラーとなり、映画化され、テレビドラマ化もされた。

星野富弘さんに至っては、怪我をしなければ、まず、名も知れぬ一介の体育教師で人生を、おわっただろうが、脊髄損傷したことによって、日本はおろか、世界的な詩人、画家になってしまった。群馬県名誉市民となり、建設費用、数億円で豪華な富弘美術館が建てられ、来館者、数百万人である。

だから思うのである。病気は医者ではなく患者が治すべきものである。と。

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