小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ジークムント・フロイト

2011-05-16 21:56:29 | 考察文
昔、医学生の時、フロイトの精神分析の入門書を読んだ。かなり、なるほどと納得させられることが多かった。たとえば、女は性器としてマラがないから、男根に対する願望を持つようになる、などという説があるが、アダルトビデオで、夢中でフェラチオする女などには、まさにその通りの心理になっている女もいるように思える。フロイトは、普遍的な理論を求めた。しかし、それにそぐわない人間も多くいる。フロイトの説で説明できない事実もある。だからといって、フロイトの理論を誤った説として捨ててしまうというのは、よろしくない。100%真理でないからといって、切り捨てるのはよろしくない。なぜなら、それはまさに、ものを考えるヒント、参考書としての価値があるからだ。考えて、実験して、理論としての文章にしなければ、何となく野感で終わってしまうだけで、いつまでたっても何の進歩もない。間違いがあったとしても、ある堂々とした理論を立てる。その理論に対して、批判的な理論が考えられる。そして、それに対して、また批判的な理論が出てくる。といった具合にして、論理というのはどんどん発展していくものである。これは経済学ではマルクスの「資本論」と同じで、ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が壊れ、中国の経済が自由主義になったからといって、「資本論」は、読む価値のない書物とはなり得ない。また、推理小説では刑事は、些細なヒントから事件全容を解明してしまうではないか。

人の批判を怖れたり、あるいは100%正確でないことを怖れて何も書かないと、結局は0でしかない。私は、研修病院の男子病棟の時、オーベンに言われて診断の難しい患者の考察を全部、書いた。カルテにびっしりと何ページにもわたって。もちろん、100%正確ではないが、人を納得させる考察文は書いたつもりである。私が全部、言語化してしまったため、精神科に興味を持って週一回、見学に来ていた、内科の偉い先生は、そのため来れなくなってしまった。これは本当である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする