小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

効果のある球出し

2011-05-06 23:38:33 | 武道・スポーツ
さて、ここで世間のほとんど全ての、思考力というもののないテニススクールのコーチ諸君へのアドバイス。

球出しのボールは死んだボールなので、そんなものをいくら練習させても上達しない。

では、どうすればいいか。一つ提案。コーチは球出しの時、どこから球を出しているか、といえば、ネットを越したすぐ前から、つまりボレーの位置からである。球出しとは、そういうものだという固定観念で頭が石になっている。しかし、それは死んだボールなのである。では、死んだボールを完全ではなくとも、少しでも生きたボールにするには。こうしてみればいい。つまり、球出しのボールをネットの前からではなく、ベースラインに近づいて、(完全にベースラインでなくても、遠ければ遠いほどいい)遠くから出すのである。遠いほどボールは生きてくる。二人の人がベースラインでラリーを始める時、最初に相手が打った球は、死んだボールではない。かなり生きている。サービスは、相手が始めるボールであるが、(速くても遅くても)生きたボールである。それを、オーバースローではなく、アンダースローに変えるだけである。それで、多少、練習の効率が良くなる。無意味な死んだボールの練習ではなくなる。しかし、そんな事をしているテニススクールのコーチは日本に一人もいないだろう。

勝つ事を目的とする試合ではなく、ラリーを出来る限り長く続けることを目的とした試合。とする。相手の打ちにくい所を狙う試合ではなく、相手が打ちやすい所へ打つ試合。こんなことを書くと、「お前は性格がやさしいからだろう」と思われそうだか、そうではない。テニスは、リズムのスポーツであり、リズムの中での繰り返しの反復運動が、フォームを上達させるからである。本当は、フォームが出来ていない生徒には試合などすべきではないのだが、頭が空っぽのコーチ諸君は、何を教えたらいいかわからないから、畢竟、フォームが完成した生徒が、やっと始めるべき、試合での勝ち方のバリエーションの練習しか思いつかないのである。そして、何でもいいから、色んなことのバリエーションを、たくさんやらせれば、上手くなるだろう、との認識しかコーチ諸君にはないのである。

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テニス。二対一

2011-05-06 20:55:25 | 武道・スポーツ
昨日、テニススクールで生徒が二人だった。コーチを入れると三人である。生徒は二人より三人の方がやりやすい。コーチにとっても生徒にとっても。四人だと二人ずつラリーが出来るし、試合も出来るからだ。私いがいのもう一人の生徒は、初級クラスの人だった。それで、二対一でのラリーをすることになった。私が一人で二人を相手する時は、コーチと生徒に交互に打ち分けた。だけど、その人がコーチと私を相手にする時は、その人はコーチとしか打たなかった。私の方に打ってこないので、ラケットを背中に回して不貞腐れたら、コーチが、構えるよう言った。マナーを守ってないのは、相手の方じゃないか。それとも交互に打ち分けることが出来ないのか?

コーチも何もアドバイスしない。(出来ないのか?)スポーツの事など書くのは、つまらないのだが、他にする人(出来る人)がいないので、私がするしかない。大公出でずんばやむをえず。である。やれやれ。二対一で、左右に打ち分ける時に意識すべき事はただ一つ。打つ方向に体を向ける、ということである。(斜めから球が来てもである)体を向けるといっても、当然、体の正面を向けるのではなく、野球と同じように、スクエアスタンスで、打つ方向に体を平行に向けるのである。それを交互に切り替えるのである。意識すべきことはその一つだけである。これは、テニスは、「ボールを打つ時は、自分がボールを打つ方向に平行に体を向ける」という基本をしっかり意識することが出来るようになる、いい練習にもなる。体といっても、特に腰の向きの大切さ、である。言葉にすることで曖昧で感覚的だったことが正確に認識できるようになる。打ち分けで意識すべきことは、その一つである。スポーツでは、二つ以上のことは、意識できるものではないし、それは、かえって逆効果になる。

映画のスイングガールズじゃないけど。
「世の中は二つのタイプの人間にわけられる。何事にも、上達する人と上達しない人がある。その違いはなにか。それは。考えようとする人間か、それとも考える能力のない人間であるかの違いである」

もっと当たり前のことだけれど、あまりにも簡単で当然なことなのに、誤解している人が結構いるのである。

「優れた指導者とは、自分がいかに上手く出来るか、ということは、ほとんど関係ない。優れた指導者とは、いかに生徒を上手くさせる能力があるか、ということである」

私の父親など、そのいい典型である。父親はゴルフを熱心にやって、テレビでゴルフを実によく見ていた。しかし結局、いくら練習しても上手くなれなかった。ある時、有名なプロだかの人に指導してもらえることに、大喜びしていた。しかしここに落とし穴がある。プロというのは、自分は上手く出来ても、かえって指導能力がない傾向が多いのである。それどころか、あるレベルまでは上達する可能性があるのに、それをかえって潰してしまうことさえあるのである。

認識を受け渡すことが、いかに困難であるか、ということを理解している事が、優れた指導者の最低の条件である。人は、何かを認識できた時、感動する。勉強にしろ、運動にしろ、芸事にしろ、「あっ。わかった」「あっ。出来た」「ああ。こういうことだったのか」というふうに、人は認識できた時、感動する。人に物事を認識させることの出来る人こそが優れた指導者なのである。

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花火

2011-05-06 20:47:33 | Weblog
コンビで花火を売り出すようになった。
コンビニに花火が並ぶようになった。

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