小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

菅直人

2010-09-10 17:15:03 | Weblog
民主党の代表選挙が近づいている。菅直人か小沢一郎か。私としては菅直人の続投に期待したい。菅直人も、ようやく野党感覚ではなく、与党の責任を感じて現実を見据えているからだ。そもそも日本の総理大臣というものは、自民党の時代から、先発ピッチャーがノックアウトされた後に、何とか与党を維持するために出すリリーフなのである。国民は、この人になら、と一縷の望みを託す。ので、就任直後の支持率は高い。そして、だんだん支持率が低下していき、この人では与党の維持が出来ないと、別の人に切り替わる。そして、一度、総理大臣をやると、この人では政治力がない、という正体が国民にばれて、国民は幻滅する。だから日本では総理大臣は一度きりしか出来ないのである。氏は政治生命をかける、と言っているし、それは氏の本心であるし、望みを託したい。菅直人は、まだ、総理になってからの期間が短く、氏の正体や実行力がわかっていないではないか。菅直人ではダメだとわかったら、他の人にすればいいではないか。
それにしても、菅直人は、若い時は、すごいハンサムだった。氏は政治家ではなく、俳優を目指した方が良かったのではないか。きっと人気のある俳優になれただろう。政界なんてドロ沼の世界に入って、野党議員として批判ばっかりしてきたから、性格もイヤミになったようにも少しは感じる。やっと悲願の総理大臣になれた時には、63歳と歳をとってしまって、赤鼻テカテカのピエロみたいになってしまったのは、極めて遺憾である。また氏は世襲議員ではなく、タタキアゲでもあるから、粘り強さもあると思う。もっと菅直人にやらせるべきだ。それに総理大臣が短期間にコロコロ変わりつづけると日本は世界の国々から馬鹿にされるそ。




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愛と誠

2010-09-10 15:28:28 | Weblog
梶原一騎の漫画、「愛と誠」のラストはハッピーエンドとは言えない。太賀誠は、砂土谷峻にナイフで刺され、漫画では、その後が分からないまま終わるが、まず助かる見込みなく、太賀誠は死ぬだろう。これは梶原一騎の感性からして、そうせざるを得ないラストである。もし、太賀誠が死なずに、早乙女愛と幸福になるような結末は、梶原一騎にとっては、耐えられないだろう。梶原は、ひたすら命がけで突き進む若さのエネルギーにのみ美しさを認めているのであり、のんびりとした安逸な幸福な生き方など嫌悪しているからだ。もし太賀誠が死なないのなら、16巻で終わりには出来ず、もっと話をつづけて太賀誠に、さらなる困難を与えなくてはならないことになる。

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鈴木宗男

2010-09-10 14:58:48 | Weblog
鈴木宗男が有罪になったのは仕方なかろう。氏は斡旋収賄という罪を知らず、それをやりまくってきたのだから。まあ、一年半くらいの懲役は氏にとって何でもなかろう。それより5年、選挙に立候補できないという事の方が可哀想に思える。立候補できるのは70歳近くになってしまう。まあ、まあ、法改正され今では10年になったのが、氏は改正以前で5年というのは、かなりの救いである。しかし、氏はバイタリティーがありあまっている人間だから出所すれば、テレビ出演や討論、講演などの依頼はあるだろう。
氏の功績は、検察の悪質な実態を世間に知らしめた事が大きいだろう。それまでも検察は悪質であることは世間に分かっていたが、大きな声で公的立場で、熱弁を奮って訴える(訴えれる)人はいなかった。氏は用意周到で、精神的にタフで、明快で、寛大で、ねちっこさが無く、ちょっと演技もし、親分気質で恐い面もあり、田中角栄の政治手法を使った政治家である。

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押尾学2

2010-09-10 14:05:11 | Weblog
押尾学が保釈された後、何の反省の色も見られず、あっけらかんとした氏の態度は全く理解できなかった。それでその理由を考えてみた。

押尾学は、田中香織さんの体に異変が起きた時、119番するどころか、何とか救急車を呼ばないよう考えていた。事件を隠蔽することに全力をあげていた。他人に自分の身代わりになれ、とまで言った。これはまともな人間の感覚ではない。外道、凶悪犯の犯人の心理である。どうして、こういう狂ったことを真っ先に考えたのか。私は、それに二つの理由があると思う。私は氏を今まで知らなかった。テレビドラマなど全く見ないので。一つは、氏は傲慢でワガママな性格だったらしい。それが、そういう行動をとった理由の一つではないかと推測する。もう一つは。芸能人、アイドルのVIP意識である。氏は俳優であり、多くのテレビ番組に出ている。主演の映画も製作された。歌手でもある。多くのファンがいる。自分は、世間に必要な人間だ、大切な人間だ、芸能界もファンもテレビ局もオレを必要としている。スキャンダルでオレを失墜させてはならない。という俳優の特権意識だったのではなかろうか。その意識にも二つの要素があって、一つは芸能界、俳優としてもっと活躍したい、のしあがりたい、天下を取りたい、もっと名声をあげたいという自分の欲望。もう一つは、自分には多くのファンもいる、テレビ局も世間もオレを必要としている。だからオレは生きなくてはならない、生きる資格がある、という特権意識ではないだろうか。一方、死んだ田中香織さんは、無名の一般人である。無名の一般人一人が死んだからといって、世の中がどうこうなるわけではない。オレは大切な人間で生きなくてはならないが彼女が死んでも、別にどうということはない、オレは生きなくてはならない大切な人間だが、田中香織という無名の一人の女の死など、どうでもいいことだ、というような命の重さに対する差別意識があったのではなかろうか。それが理由と私は推測する。

とんねるずの石橋貴明も以前、「オレ様は天上人で、お前ら(無名人)なんてゾウリムシだ」と言っていたが、芸能人の中には、自分を特別な人間だと思っているタレントが、性格が傲慢だといるものである。

だいたい私はタレントや俳優などに興味がない。ドラマや映画の役者なんて、ちょっと練習すれば、ほとんどの人が出来る。特別な能力ではない。タレントなんて、テレビにしゃしゃり出たがる性格の人間にしか過ぎない。

西川史子にしても、テレビにしゃしゃり出る決断をしたからミス日本に選ばれただけのことだ。私が医学生の時、同じクラスの女子で、どう見ても彼女よりずっと綺麗で魅力的な人がたくさんいた。彼女らがミス日本でないのは、慎ましい控えめな性格でテレビにしゃしゃり出る決断をしなかっただけに過ぎない。

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