小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

押尾学氏になぜ反省の気持ちが起こらないか2

2010-09-18 21:16:14 | Weblog
「押尾学氏になぜ反省の気持ちが起こらないか1」のつづき。

さて、1では、まわりくどく考察してみた。しかし、これは結果として押尾氏に非常に有利な言い訳のヒントを与えてしまったようなものである。公平を期すため、そういう仮説も立ててみる必要があると思ったからである。
ともかく、押尾氏と田中さんが、どういう関係だったか、ということは非常に重要なことだと思う。
ぶっちゃけた話、私は押尾氏が田中さんの意思を酌んで隠蔽工作した、などとは全く思っていない。あんな下等な軽率児にそんな気持ちが起こるはずはないと思っている。
押尾氏は不慮の事故で、自分の将来を失うのが死ぬほど嫌だったから、何としても隠蔽工作しようとしたのだと私は思っている。つまり100%自分の保身のためである。
「こんな一介のセックスフレンドに過ぎない女のために、俳優としての自分の将来を失いたくない」
というのがプレイボーイ押尾の本心だと確信している。自分は人気があり、これからも人気が伸びる俳優であり、田中香織は、名もない一介のホステスに過ぎない。オレの命の方が大切だ、こんなヤツ(田中香織)は死んでもたいした事はない、という命の重さに対する差別意識が圧倒的に強くあったと私は確信している。

ではなぜ田中香織はそんなヤツを好きになったか。

女はどんな男に惚れるだろう。もちろん人によって違う。しかしメガネをかけた痩せた東大出の青白いインテリ官僚に女は惚れるだろうか。たとえ彼が真面目で純粋な性格であったとしても。惚れる場合もあるだろう。しかし、やはり女は学歴やつまらない真面目さより、イケメンで、体格が逞しく、垢抜けていて、話が面白く、みてくれが格好いい男の方に惹かれるのではないか。傲慢でワルッぽい性格も、逞しくて、不屈の強い性格と見えるのではないか。誠実で弱っちろい性格より、ワルっぽい性格には不敵なワイルドさを女は感じるのではないか。傲慢さにも魅力はある。そして、実際、押尾は精神的に強い。真面目一本やりな性格より、チャランポランな性格の方が、女は悪ガキの魅力を感じて母性本能をくすぐられるのではないか。

押尾についてるカス弁護士も、まあせいぜい頑張りな。押尾は自然体でいいかげんなのである。それが一部の女にとって押尾学の魅力になっているのである。
と私は推測する。

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押尾学氏になぜ反省の気持ちが起こらないか1

2010-09-18 18:14:09 | Weblog
それは、(押尾氏の視点から見ると)押尾氏は田中さんと合意した上でドラッグセックスしたのであり、さらに、これは不測の不可抗力の事故である。運が悪かったに過ぎない、という思いがあるからだろう。
田中さんも、押尾氏とのセックスを楽しみにしていたのだから、押尾氏の、相当なファンだろう。(男が女にメロメロに惚れて、その女のためになら死んでもいい、という感情になることはあるだろう。その気持ちの現実性がどの程度かは人それぞれだが、本当の恋愛なら相手のために死んでもいいと本気で思うこともありうるだろう)押尾氏の場合は、その逆だったのだろう。つまり、田中さんが、押尾氏に惚れていたのだろう。押尾氏が田中さんをどう思っていたかはわからないが、押尾氏は田中さんを、自分を慕ってくる女と見ていたのではないか。つまり男の方が上位である関係だったと思われる。つまり、仲のいい二人の男女の間に起こった不慮の事故と、押尾氏はとらえただろう。
死んだ田中さんの思いはわからない。ここで二つの仮定を立ててみる。
(1)田中さんは、押尾氏を好いてはいるが、軽いセックスフレンドの感覚であり、押尾氏のために死んでもいい、というほどの愛情は持っていなかった。本心ではセックスという遊びでの事故で死ぬなんてまっぴらであって、セックスが終われば、本当の恋をして幸せな家庭を持ち、何としても生きたいと思っていた。
(2)押尾氏は田中さんにとって、(本気で)死んでもいいほど、惚れていた相手だった。押尾氏のためになら死んでもいいと思うほど本気で惚れていた。つまり本気かつ狂気の愛だった。
と仮定してみる。
押尾氏は、田中さんの気持ちを(2)である、と、とらえてしまったのではないか。
死んだ田中さんは押尾氏にどういう思いを持ったであろう。
(1)であると、仮定するならば、田中さんは、真っ青になって、「お願い。早く救急車を呼んで。私、まだ死にたくない」と叫んだだろう。
(2)であると仮定すると、「私はもう助からないわ。あなたのために死ぬのなら幸せだわ。それより、あなたは、多くのファンのいる将来のある俳優でしょ。私はつまらない一介のホステスに過ぎないわ。こんな事がスキャンダルになったら、あなたの未来は終わりだわ。こんな事故のためにあなたの一生を棒に振るのは、私、つらいわ。私の死は隠してちょうだい」と、訴えただろう。
押尾氏は田中さんの思いを(2)であると、かってに、とらえてしまったのではなかろうか。だから死者の思いを酌む意図もあって、必死で不慮の事故の隠蔽工作に走ったのではないだろうか。(もちろん、氏の自己中心的な性格からして、死者の意図を酌む、という以上に、自分の地位を失いたくない、という自分かわいさがあったことも間違いない)
ただ、やっかいなのは、セックスの最中の事故である、ということである。セックスの最中は男女共に、日常の全てを忘れ、快楽におぼれている感覚である。落ち着いた、冷静な感覚ではない。
では、落ち着いた感覚の時、事故が起こっていたら、どうだっただろう。
たとえば、押尾氏と田中さんが、ジャンボジェット機に乗っていて、飛行機に故障が起こって、死ぬかもしれないというような事態になったら、田中さんはどう思ったであろう。
(1)の方なら、田中さんは、「死にたくない。死ぬのは怖い」と泣き叫んだだろう。
(2)の方なら、田中さんは、「あなたと一緒に死ねるのならば、私、無上の幸せだわ」と思っただろう。

「押尾学氏になぜ反省の気持ちが起こらないか2」につづく

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押尾学6

2010-09-18 05:13:53 | Weblog
押尾学に懲役二年六ヶ月の判決が言いわたされた。それを不服として控訴するという。

氏は白痴である。まるでダタッ子のようである。
判決の軽重の不当性を憤って、というより
「刑務所入るのいやだー。もう拘置所くらしで疲れた。もうヘトヘトに疲れたんだから、ゆっくり、のんびりしたい」
というのが、控訴の理由だろう。
控訴して有利な判決が出ることは絶対ない。

氏が心臓マッサッージをしたであろうことは、私は証人の発言と事実関係から、99%確信している。しかし、それがなんなのだ。そんなのは119番するまでの、つなぎに過ぎない。119番と、救急車が来るまでの時間の救命措置の両方をして、はじめて、「遺棄」ではないといえるのだ。一般人の救命措置の知識は、人によって違う。だから心臓マッサージの知識に自信がなかったら、しなくても全く問題ない。たとえ救急のベテラン医が押尾氏の立場であっても、気道確保と心臓マッサージと人工呼吸だけで心肺停止の患者を蘇生させることは不可能である。119番するのが当たり前である。叙細動、ルート確保、昇圧剤投与、等等、医療器具がなくては死ぬに決まっている。

氏はクリスチャンで毎日、マリア様に、田中さんの冥福を祈っていたなどと、見え透いたしらじらしい大偽善を吐いているが、祈っていたのは、田中さんの冥福、ではなく、てめえの無罪判決だろうが。

裁判員制度は問題がある。裁判官の判決は検察に偏りがちだが、それでいいじゃないか。被告が不服なら控訴できるのだから。

今回の判決は、田中香織さんの両親、押尾被告、医師、世間、全ての人を納得させるための八方美人的判決に見える。

刑務所、入ったってロックは出来るぞ。エルビス・プレスリーの「監獄ロック」は面白いじゃないか。

何事でも、二人の人間が発言する時には、後で発言した人間の発言の方が、前に発言した者の発言より重みを持ってしまうのだ。

検察側の救急の専門医は、都心だから、色々な薬物の中毒患者の救急の事例も多いはずだ。

押尾側の証人の医者は、覚醒剤中毒については多くの症例を見て詳しいが、合成麻薬MDMAに関しては、事例が無く、文献だけを根拠に発言している。

致死、かどうかは、もっともっと多くの薬物中毒、救急医療の専門家の討論によって決定されるべきだ。医者は100人いれば100通りの意見を言うものである。

だいたい、押尾側の医者の証人は、「血中濃度はウソをつかない」とか堂々と言ってるけど、そんな致死量の三倍もの危険な量を、その薬物の危険性を全く調べないまま、ただ快感の度合いを高めるために飲ませた押尾の無責任さに罪はないのか?

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