私の創作意欲の原動力は、小説をホームページに発表した後にすぐ起こる虚しさと、同時に起こる創作意欲である。発表した後の一日は満足感にひたれる。しかし二日目からは、またものすごい虚無感と創作意欲が起こる。私の人生は、おそらくその繰り返しだろう。そして、そういう人は多いと思う。小成に安んじることは出来ない。しかし、ある程度書いてきたら満足感が起きてきた面もある。しかし、書かないでいれば、やがて死にたいほど書きたくなるだろう。そこで私は私を鞭打ってくれるものが欲しいのである。それは、締め切りなり、商業誌への発表なり、である。しかし私はとても、締め切りタイプの書き方は出来ないだろう。梶原一騎は全盛期に睡眠時間3時間で8本もの連載をしていたということだ。小説家でも、そういう人はいる。そんな事を聞いただけで私はショック死しそうである。ストーリーが思いつかなかったら、どうすんだよ。しかし、締め切りがあるから書けるという作家も多い。緊張感が高まるんだろう。筆一本で生きている人は、そういう限界で生きているのだろう。しかし。私は書き下ろししか出来ない。しかし書き直しとか、言われると。書き直しほど、つまらないものはない。し、内容まで書きたくないものに変えろ、とか言われたら。そんな事を考えると、怖くなってしまう。
ところで私は、爽やかな青春小説を書きたいと思っていたのに、どうしてもエロティックな小説になってしまう。やはり書きたいから、そっちの方向に行ってしまうのだが、歳をとって性欲がなくなったら爽やかな青春小説を書こう。と思っているが、はたして書けるか。やはり、死ぬまで、書いて、読んで、働いて、運動して、少し遊んで、という人生になるのではないだろうか。しかし、やはり締め切り的なものは欲しい。金はさほど欲しくない。私の拙作を、貴重な人生の時間をさいて読んで下さる事を考えると申し訳ない気がする。しかし私の書く小説は肩が凝らないでサラサラッと読めるだろうとも思う。
私の拙作は何でも、どこにでも自由に掲載して下さってかまいません。むしろ、していただけると嬉しいです。ただ著作権だけは、私が生きている間は私のものとさせて下さい。死んだら全部、著作権フリーとします。著作権の事はよく知らないのですが、要するに、それによって利益を得るという行為であり、ネット上の掲載なら、それに該当しません。
ところで私は、爽やかな青春小説を書きたいと思っていたのに、どうしてもエロティックな小説になってしまう。やはり書きたいから、そっちの方向に行ってしまうのだが、歳をとって性欲がなくなったら爽やかな青春小説を書こう。と思っているが、はたして書けるか。やはり、死ぬまで、書いて、読んで、働いて、運動して、少し遊んで、という人生になるのではないだろうか。しかし、やはり締め切り的なものは欲しい。金はさほど欲しくない。私の拙作を、貴重な人生の時間をさいて読んで下さる事を考えると申し訳ない気がする。しかし私の書く小説は肩が凝らないでサラサラッと読めるだろうとも思う。
私の拙作は何でも、どこにでも自由に掲載して下さってかまいません。むしろ、していただけると嬉しいです。ただ著作権だけは、私が生きている間は私のものとさせて下さい。死んだら全部、著作権フリーとします。著作権の事はよく知らないのですが、要するに、それによって利益を得るという行為であり、ネット上の掲載なら、それに該当しません。