小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

謹賀新年

2009-01-01 16:59:23 | Weblog
謹賀新年

今年がこのブログを読んでくださってる方に良い年でありますように。


今朝、海に日の出を見に行った。ちょうど日輪が出かかる所を見れた。「初日の出」などといっても、元旦の日の出と、毎日の日の出に違いがあるわけではない。また、私はそんなに縁起にこだわる性格でもない。なのに、なぜか、どうしても海の日の出が見たくなったのである。この理由がわからなかった。だが、だんだんわかりだした。私は湘南という土地を、そして湘南の海を愛しているからだ。海には、日の出を見にきた人達でいっぱいだった。むしろ、私は彼らを見に行きたかったのだろう。人が楽しむ湘南を私も楽しみたかったのだ。孤独をかこっていても私は人恋しい。マス大山のように片眉を剃る気にもならない。今日のこの機会は人生で二度とは無いのだ。あいかわらず、彼氏彼女のカップルは多い。私は嫉妬心をかきたてるためにわざとカップルを見に行く。羨ましさが私の生きるエネルギー源である。それを充電しに行ったのだ。

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理容店

2009-01-01 16:45:54 | Weblog
小説「理容店」が本当になった。

「理容店」という小説を以前、書いた。ホームページにのせてある。もちろん、これは、事実を脚色したフィクションだが、ある明るい女性が、私の担当になった。彼女は私が行くと、笑って、色々話しかけてきた。もしかしたら海にさそったら本当に行ってくれるかもしれない。だが、最近は行かなくなった。近くに別の似たようなのが出来たからである。

だが、私はなぜか、素直に相手に好意を示したり、望みを実現させたくない複雑な思いがある。望みは叶えられたとたん、望みでなくなってしまうからだ。むしろ、私は欲求不満のハングリーでいたい。「エエカッコシイ」もあるのかもしれない。葉隠れで言う恋愛観、
「恋の至極は忍恋にあると見立て候。会いてからは恋の丈が低し。一生、忍んで狂い死する事こそ恋の本意なれ」
この葉隠れの恋愛観が私に強くあるのである。
というより、私は安易な和解が嫌いなのだ。
私はなぜか、望んでいたものが満たされてしまうと、かえって虚しくなるのである。
激しく望んでも、望みがかなわない緊張感に興奮するのである。

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