仏教では「結論としての土台」があってはいけないと説いているのです。
先ず「結論」として例えば「苦集滅道」というものを「提示」しておいて
そしてこの「結論としての土台」を取り除いてあげるのです。
道元禅師のお示しでは「仏道をならうというは、自己をならうなり 自己を
ならうというは、自己を忘るるなり」ということです。
別の言葉で言えば「仏道をならうというは 結論をならうなり 結論をならう
というは、結論を忘るるなり」ということです。
何故取り除く必要があるのかというと「土台を取り除かないと元(根)が残る」
からです。
「土台」というのは、「ひとつの立場」です。
「最初から立場というものがあってはいけないんだ(立場というものを執って
はいけないんだ)」ということが仏教の教えなのです。