所謂認識自体が認識自体の自在なる働き(活動)のために惑わされてそれから
一歩も出ることが出来なかったことに気付かれたのです。
今日の私たち衆生もこの誤りを知(識)らずに「識の誤り」に惑わされているのです。
この発見こそがおシャカ様の偉大なる前人未到の田地であり、「人類の苦の源」を
発見する鍵だったのです。
私は宗教に携わる一人として「現実」を考え「未来」を想うとき「仏法(仏道)」
を如何に「令法久住(りょうぼう くじゅう)〈久しくこの世に住まらしむる)」
せしめるか自分に向かって常に問題提起しています。