仏教では「人類の究極の課題」である、この疑問の起こる源を「無明の煩悩」
と説いているのです。
この「無明の煩悩」が滅しない限り、人間(にんげん)の苦悩を完全に救うことは
出来ないのです。
たとえたくさんの人が研究を重ねて仏教に同一な結論に達し、各自が理論的に
決定しても、彼等自身が「真理」はこれでよいのかと自問自答する時、真面目な
正直な考えを持つ人であればあるほどますます疑問が起き、自分自らが迷うのが
落ちつくところではないでしょうか。
このように考えてみればみるほどに、人間は迷いに迷いを重ねて浮かぶ瀬もなき
哀れなるものとなります。
これが人間を苦しめ悩ます処の「無明の煩悩」なのです。