「未だ到らざれば」とは、自分も一度そういう所へ行って、この眼で景色
のいい状態を自分のものにしてみたい、何とかそこに一度行ってみたい
という意味です。
「千般の恨み消せず」とは、どうにかしてそれを見てみたいと、しょっち
ゅう気にかかって消えないということです。
「廬山と浙江」だけは、自分の心中から離れないということで、今の私
たち衆生の様子をいっているのです。
畢竟(ひっきょう)、「求心(ぐしん)」と同じことです。
「未だ到らざれば」とは、自分も一度そういう所へ行って、この眼で景色
のいい状態を自分のものにしてみたい、何とかそこに一度行ってみたい
という意味です。
「千般の恨み消せず」とは、どうにかしてそれを見てみたいと、しょっち
ゅう気にかかって消えないということです。
「廬山と浙江」だけは、自分の心中から離れないということで、今の私
たち衆生の様子をいっているのです。
畢竟(ひっきょう)、「求心(ぐしん)」と同じことです。