活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

本来無自己1

2019年01月08日 | 

道元禅師の正法眼蔵の中に「仏道をならうというは、自己をならうなり、

自己をならうというは、自己を忘るるなり」とお示しになった文言(もんごん)

があります。


「仏道をならうというは、自己をならうなり」の「自己」とは、因縁生に

因ってつくられたところの「無自性」ということです。


ですから、「中心のない、どこにもつかみどころのない自己」ということです。

これを、「本来無自己」といっています。


その「自己」を自分で見つけ出すために、中心のないどこにもつかみどころのない

(自性のない)無自性にならいなさいと、いっているのです。


それを「自分のものにしなければいけませんよ」といっているのです。