活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

自分の一生1

2019年01月15日 | 法理

私たち衆生は、自分では何年何月何日に生まれたということは知(識)りません。

自分の名前を付けられたことも知(識)りません。


しかし、知らず識らずの内に「私は太郎です、私は花子です」といえる

ようになるのです。実に不思議です。


そして、物心がつく頃になると自分自身のことは考える暇もなく、物から

吸収する力が強くなってきてますます「本来の自己」から遠ざかっていく

のです。


また、亡くなられる人も自分の死ということは自分では分かりません。

自分の死を自分で知(識)る人はいないのです。


私たち衆生は「本来の自己」ということをはっきり知(識)らずに

「自分(?)の一生」を過ごしているのです。