活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

蘇東坡の詩4

2019年01月28日 | 法理

ここで問題にしなければならないことが有(在)るのです。


「平常心(びょうじょうしん)」ということが仏道の極地(仏法のぎりぎりの

ところ) なのかということです。


確かに、「平常心」の他に「仏道(仏教)、禅」の目指すところは有(在)り

ませんが「平常心」というものを認めて「成る程、これが平常心だったの

かと考える」とそれは間違いなのです。


このことを「破還郷(はげんきょう)...故郷に還ることを破る」と表現した

覚者が居られます。


「そこに腰を据えてはいけない」ということです。


別の言葉で言えば「平常心是道の道筋」がそこに有(在)ると認めたならば

それは間違いだということです。


「平常心是道が仏道(仏法)の究極である」には違いないですけれども、

「仏教全体」でいえば「実相は無相なり」でないといけないのです。


そこが私たち衆生の還るべき家なのです。


葬儀に於いては「新帰元(しんきげん)...新しく元に帰る」といっています。

つまり、「何もないところ」です。