今の学校教育は「分からないことが有ってはならない」ということを基本
にした教育です。
しかし、「分からないことがある」ということを、はっきり分かって
欲しいのです。
それがほんとうに「分かったということ」です。
「分からないという一番の源」は「自分自身を知(識)らない」ということ
に尽きます。
「宗教の宗」というのは、本源という意味です。
この本源を追求(追究)することが「本来の宗教であり科学」でなければなりません。
「迷い」というのは本来「自分と離して物を見る(今を看る、今の事実に
手を付けてしまう)」ということ以外にはありません。