「この法は人人(にんにん)の分上ゆたかにそなはれり」という、道元
禅師のお示しがあります。
「法」というのは、何も知(識)らない、一切為さざるところにおいて、
はっきりと物が見える、聞こえる、味わえるという、「六根(眼・耳・鼻・
舌・身・意)」の働きのままのことです。
自分のなかで、何かを知(識)るというようなことがなくてもすべてが
きちんとわかります。
初めて見るものも、初めて聞くものも、初めて味わうものも、きちんと
わかるということです。
そういうことを「この法は人人の分上ゆたかにそなはれり」といっている
のです。
ですから、それぞれの人がみんなその人の法、ではありませんか。