「自己の正体」を見極めたら、もとより迷いや不安や不自由
であったということが、あるはずがないということが、ハッキリ
「自覚」されるのです。
これを「安心(仏教では”あんじん”と読みます)」と得たと
いうのです。
もし安心(あんじん)を得た以前に不安等の材料というものが
あって、修行によってそういうものが消滅したというのなら
それは間違いです。
「ただ」とか「安心(あんじん)」という状態は、「修行以前
のもの」です。
もし修行しなければ安心(あんじん)が得られないという
のならば、「ただ」とか「安心(あんじん)」という言葉は
出て来ません。